悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

時間の不思議

2011-08-15 11:17:51 | 言葉

子どもの頃の娯楽の1つに映画があった。
たまにではあったが、美空ひばりの時代劇や、江利チエミの「サザエさん」、
宇津井健の「スーパージャイアンツ」、ゴジラ、モスラなどの怪獣ものなどなど。
大きな画面で見る映画は、楽しかった。昔は、良い場面では観客が拍手をする。
ある程度の年齢になると気恥ずかしかったが、悪い気分ではなかった。

そんな好きな映画であったが、嫌なところが1つあった。
見終わった後、外に出て、夕方のことで、周囲が真っ暗になっているときだ。
子どもの頃だから、映画館を出るのが7時、8時ということは考えにくい。
昔は3本立てや2本立てがあり、3時頃入り、5時過ぎると真っ暗というのは、
冬の記憶だと思う。
そんなとき、自分が知らない間に時間だけが過ぎてしまい、
取り残されてしまったような、寂しい気分になった。
思春期のほんの一時期の感傷だったかもしれないが、
あの「嫌な気分」は今でも残っている。
その気分が嫌で映画を見ないということは、今はないが、
一人で見ていると、自分を置いて、
時間が過ぎていってしまうという感覚は今でも残っている。

当たり前のことが当たり前と受けとれなかった。
そのような感覚は、他にもたくさんあると思う。

ついでのようだが思い出すのが、「花火大会」と「提灯竿もみまつり」。
やはり、子どもの頃苦手だったもの。
花火は、一瞬の美しさは良いのだが、終わった後にむなしい気分が残り、
はかなく消える花火などより、造花の方が良いと、やはり同じ時期に思っていた。

「提灯竿もみまつり」は、子どもの頃だけだったような気がするが、
気弱な子どもだったので、提灯をぶつけ合って相手の提灯を壊す(燃やす)という、
争い事のような一連の動きが、怖くて嫌いな祭りだった。

時が移り、就職した年、職場で選ばれ「竿もみまつり」に参加したことがある。
白塗りの化粧をし、酒を飲み、寒い中を半天とパンツ一丁で走り回るのは快感だった。
今は、怖い、提灯がかわいそうという感覚は無くなっている。

連想ゲームではないが、争い事や勝負事が嫌いだった。
一番単純でわかりやすいのは、じゃんけんが嫌いだった。

サッカーも激しくボールを取り合うのが性に合わず、授業でやらされる以外は、
まったく関心もなかった。高校生の頃の記憶でも、自分は大きな体だったので、
級友は皆自分より小さかった。体育でサッカーをやるときなど、
小さな級友だと押し倒してしまうので、ぶつからないようにやっていた。
遊びでさえもサッカーはやらなかったから、下手なことは間違いないので、
ボールをとって、級友を蹴散らしながらゴールを決めるなどということは
当然のように全くなく、たまたま、自分の近くにボールがきたときのことではある。
何度か、相手を倒してしまい、悪態をつかれた不快感が記憶に残っており、
最初のサッカー嫌いに結びついている。

記憶には夾雑物(混じりもの、くずなど)が入り込むことがあるので、
事実と多少違っている可能性があるが、このような形で今の自分に残っている。
これらは、今の自分に都合の良いように脚色されている可能性はある。

これも時間のなせる技かもしれない。