悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

久米島のんびりウォーク

2017-09-30 19:21:55 | ウォーキング

来年の1月、久米島のんびりウォークに参加の予定で、希望者を募っている。
だいぶ前から、久米島出身の指導員に知り合いがいて誘われていた。
今年が10回記念大会だったので参加すればよかったのだが、決心がつかなかった。
来年の11回大会への参加となる。
これまで私がまとめた2回の計画は、当初、ろう者を中心としたツアーであった。
計画の途中から、何人かの引き合いがあり、20人以上のツアー参加となった。
ただ、ろう者の参加を前提としたツアーという、最初の趣旨がずれたきらいがあり、
私としては大きな反省点であった。
今回もろう者を誘っているが、ろう者中心という前提はいくぶん薄くなっている。
それでも、参加者全員に目を配り、聞こえない参加者が疎外されないよう配慮したい。

今日は、茨城県ウオーキング協会の月例会に参加した。
好天に恵まれ、明野の田園風景と筑波山を楽しんだ。

スタートボタンを押すのを忘れ、いくぶん短い記録となった。正味11.2kmはあった。

  


長い1日だった

2017-09-29 20:59:43 | 雑記

母は、ショートステイが近づくと短期記憶の保持がおそろしく困難になる。
また、日頃の不安や懸念が脳裏に湧き上がり、繰り返し問いただすようになる。
これが3時間も続くとげんなりする。
子どもの頃見て嫌だった、伯父の再来かと思うような、がさつな応酬が始まる。
とても、心揺さぶられるような感動的な小説など、読む気にもなれない。
せいぜい、あぁ、私はなんてダメな息子なんだと・・・自分を責めるしか手がない。
「ノルディックウォーク体験会」から帰って約4時間、夕飯が始まる頃になって、
やっと、収まった。
明日は、茨城県ウオーキング協会の月例会で、筑西市明野に行く。
明後日は、申し込むのを忘れていた「とりで利根川市民ウオーク」に参加する予定。

今日は、古河駅往復と越谷レイクタウンと体験会会場往復の計4kmしか歩いていない。
よって、地球一周四万キロ認定には算定しない。


使い分け

2017-09-28 21:17:18 | インターネット

またうっかり間違えてしまった。
メールを送る際の宛先指定である。
メールアドレスを拡散しない方がよいと判断した場合、BCCで送るのが常識だが、
TOに、1人の名前を書いて送ったので、その人の名(アドレスこみ)を知らせてしまった。
前にも何度か疑問に思い、TOには自分の宛名を入れようと思っていたのを、忘れていた。
試しに自分の複数のメールアドレスに送ったところ、BCCだけでも届いた。
ただ、メールソフトによっては、受け取り方に若干の違いが見受けられた。
無難なのは、TOに自分のアドレス、他の人はすべてBCCとすれば、
すべて個人宛に送ったのと同じことになる。

今日は骨休めで歩かなかった。


金木犀

2017-09-27 21:10:08 | 植物

わが家の金木犀がやっと花をつけた。1本の太い枝が完全に枯れたので、危ぶんでいた。
母が外に出たいというので門前に車椅子を止めた。金木犀はどうしたかと覗いてみると、
ほんの少しだけ花をつけていた。小枝を手折り母の掌に載せると、よく匂うという。
午前中の歩きで市役所西の通りを歩いていると、ギンモクセイを見つけた。
昨日調べたところ、「木犀」というと、「ギンモクセイ」のことと書いてあった。

過日、大宝神社に行ったとき、鳥居脇のギンモクセイが周囲に香りを漂わせていた。
咲く順序としては、銀の後に金が咲くようだ。ギンモクセイは花の色が白に近いので、
目だたない。また、香りも少なめなので、気がつかないことが多いと思う。
大宝神社ではかなりの大樹だったので、匂いが強く感じられたのだと思う。
私は嗅覚が鈍いので、かすかな匂いは鼻を近づけないと気がつかない。
大宝ではすぐにわかったので、かなり強烈だったのだろう。

昨日、金木犀の句を詠んだ?(詠んだと言えるのかどうか不明であるが・・・)
大意は、歩いていて、金木犀の香りに気がつき、ふと、どこから匂ってくるのか、
とキョロキョロすることがある。
その様子を詠ったつもりであるが、伝わったであろうか。(下の画像はギンモクセイ)

  


追いつけない

2017-09-26 20:16:37 | パソコン

わが家のパソコンはデスクトップがウインドウズ7、モバイルPCがウインドウズ10。
モバイルPCは、出先でネットにつなぐために使ったり、台所でレシピを見るとき使う。
その他いくつかの使い道もあるが、ウインドウズ10が使いにくく、常用していない。
主にデスクトップを使っているので、切羽詰まってはいないので放置していたのが実情。

せっかくのモバイルPCが勿体ないと思い、ウインドウズ10を勉強することにした。
図書館に比較的新しい出版の解説書があったので、2冊予約を入れた。
娘などはネットで調べて操作を確認しているようだが、私は苦手なので、本で調べたい。
ウインドウズ7は通常の販売を終了したが、各社、ダウングレードで7を提供している。
それだけ、7にかじりついている人が多いのだろう。
いずれ7の提供が終了するのはわかっている。今のうちに宗旨替えを目指そうと思う。

ちなみに、モバイルPCと書いたが、モバイルWi-Fiには加入していない。
外では、スマホのデザリングで対応しているので、あまり快適ではない。
いっそのこと、プロバイダー契約を取りやめ、モバイルWi-Fi1本にすることも検討中。

ワタラセツリフネソウは2005年に新種であることが発表された。
今年は9月14日にも撮ったが、その時は気がつかなかった。
先週あたり、テレビで紹介されたためか、来訪するグループが増えたようだ。
下は、今日撮ってきたもの

今日の三句

蒼天に 茜トンボの 五つ六つ

金木犀 ふと見渡せり ここかしこ

コスモスの 揺れて百恵か谷村か

  


冷や汗の手話読み取り

2017-09-25 21:27:33 | 手話

母のおやつが済み、さて、片づけようかと思っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「はい」と返事をしても反応がない。そんな時は9割方知人のろう者とわかる。

私にとって、もっとも手話の読めない○○さんで、ウォーキング大会参加の件だった。
自分で申し込んだが、受付済の内容に疑問があり、連絡をとってほしいということだった。
私も参加予定の「しまなみ海道W」だった。今回は人任せにしたので、詳細がわからず、
ネットでチラシを確認し、何が不都合なのか了解するまでにかなり時間がかかった。
内容を掴むのに時間がかかったのは、○○さんの手話が読めないことが1番の理由である。
なぜ読めないのか、説明は難しい。
40年来の付き合いであるのに読めないのは、たぶん「日本手話」なのだろう。
本来のろう者が使う手話を「日本手話」といい、手話独特の文法構造をもっている。
私たちが使うのは、日本語の文脈に沿って手話を並べる「日本語対応手話」である。
多くのろう者は、日本語の文脈に沿って表現し、未熟なボランティアに合わせてくれる。
だが、○○さんは、「日本語対応手話」しかできない相手に合わせようとはしてくれない。
そこで、「わからない」を連発すると、「手話が下手で申し訳ない」と言うのが常である。
○○さんの家族が傍にいると、その手話を、私にわかるように通訳してくれる。
○○さんに、「手話が下手で申し訳ない」と言われると、私は、却って恥ずかしくなる。
○○さんは本来の手話を使っているのに、私が下手だから読み取れないのが実情だと思う。

状況をやっとの思いで掴んだ私は、実行委員会と近畿日本ツーリストに連絡をし、
疑問点を確認し、双方に伝えることができた。

私も参加予定である旨伝えたことに対し、一緒のツアーにしたかった言われたときは、
私にも一端の責任があるかなと、思い返したことであった。

  


秋は読書とウォーキング

2017-09-24 21:30:49 | 読書

「太田 愛」のミステリー3部作の最終巻を読んでいる。
ドラマ「相棒」の脚本も書いた人の本である。
この『天上の葦 上・下』は2ヶ月ほど待っただろうか。やっと順が回ってきた。
3部作とも3人の主要登場人物が活躍するので、連続性もあり、たいへん面白い。

2点気に入らないところをあげる。1つは、やたらと品物の商品名を挙げること。
飲料水なら「ボルヴィック」、菓子なら「抹茶プレッツェル」だったり、
「アッシュブラウンの微妙な染め色がもともとフォトジェニックな顔を引き立てて~」
なども、キザで嫌らしく感じる。
だが、松岡圭祐ほど多用はしていないので許せるか。
それでも、松岡は、ある作品でジョージ・ウィンストンのピアノ曲「ロンギング・ラブ」
という曲名を挙げていた。なぜか妙にその曲を聴きたくなり、その後CDを買い込んだ。
好きなソロピアニストになったから、まんざら無意味、無駄ということもなさそうだ。

もう1点は、主要登場人物がやたらと先を読むのがうますぎる点。
だがこれも、作品の面白さを削ぐほどではないので、ちょっと気になる程度。
歩きながらピアノ曲を聴いたり、落語や朗読を聞き、帰ると推理小説にかじりつく。
今、まさに至福の秋である。

  


変わりゆくこと

2017-09-23 21:38:40 | 雑記

人は、人や自然、社会と関わっていくうちに、少しずつ、あるいは大きく変わりうる。
変わることを恐れない人もいれば、現状を維持したいと変化に抵抗する人もいる。
私は、自分を変えることには臆病であり、多くの場合今のままであることを選んできた。
他人には変わってほしいと願うことがあるので、その意味では自分勝手である。
これは、性格や意識の領域での話であるが、歩く距離の短縮や身体が動かなくなるなど、
誰にでも訪れる老化は、いくらか遅らせることはできても、避けようもなく、
どんな形ででも受け容れるしかない。

自分もそのような領域に近づきつつあるが、親の変化(老化)を受け容れるという場合、
他者の、変化に抵抗する姿を見ながら、その生き方に寄り添っていかなければならない。
それは、多くの場合、他人に対するようには寛容になれない。

こんなことを、昨夜、飲み会の帰りに久しぶりに寄った長男に話した。
長男は、ケアマネージャーの経験があり、今は、病院の医療ケースワーカーをしている。
長男からすれば、私は、いずれ介護の対象者となることを理解しているだろうし、
親が介護上の困難を、訴えているなと、当然受けとめたことだろう。
担当のケアマネージャーに話すのが先だと思っていたが、私の近況を伝えておこうと、
あえて、さらっと、伝えてみた。
息子も気にはしていただろうが、状況が一歩進んだかと、受けとめたことだろう。
私にしても、迷いつつ、つい、ほろっと出してしまった「SOS」である。

  


在庫切れ

2017-09-22 21:46:49 | 雑記

豆の在庫が切れしばらく経つ。迂闊に切らしたので、コンビニで挽いた豆を購入した。
今日、その挽き豆も切れたので、いつもの店に炒り豆を注文した。届くまで3日かかる。
インスタントもあるが、やはり物足りないので、ドリップバッグコーヒーを買ってきた。
豆を挽いて飲むようになって長いのだが、挽き豆を飲んでみて、変わりないなと感じた。
私の味覚も大したことはない。今後は安い挽き豆を飲むことにしようかと思ったが、
45年に亘る習慣を変えることには抵抗がある。もう少し飲み比べてみようと思い、
最近始めたネット販売の店に、安い炒り豆を注文したのだった。

  


聴歩を楽しむ

2017-09-21 20:14:46 | ウォーキング

このところ気に入って毎日実践しているのが「聴歩」、朗読を聞きながら歩くこと。
日々の単調な歩きに利用できるのでお勧めである。

昨日寝る前に山本周五郎の「ちゃん」と「妹の縁談」を録音した。
2作品合わせて2時間25分。今日の歩きにはちょうど良い時間。
2作品は、題名からあまり期待していなかったが、軽妙かつ感動的な作品だった。
周囲に人がいなかったから良かったが、「うふっ」、「ニヤニヤ」、「うっ」と、
予想外に心を動かされた。

「ちゃん」は、酒飲みでうだつの上がらない職人。妻と、良くできた子が4人いる。
(父)ちゃんは、腕はよいが要領が悪いので、仲間に追い越され、独立もできない。
賢く立ち回れと独立した仲間に勧められるが、思い切れず、鬱屈した気分を抱えている。
自分の境遇に嫌気がさし、泥棒にでもなろうとするが、良くできた子らには泣かされる。

「妹の縁談」は、互いに思いやりをもった姉妹、2人を取り巻く人々とのやり取りが、
軽妙で泣かせる。
締めくくりの「目黒のさんま」の話がほろりとさせ、気持ちの良い人情話になっている。

中央の看板の後ろが、埼玉、群馬、栃木の3県が交わっているところ