日光社参の下見に行ってきた。暑さに参り、小山に入った頃「芍薬甘草湯」を服用した。
後半はトイレ探しで苦労したが、前半、栗橋宿から古河宿では、関所跡に関心を持った。
関所跡には、教育委員会設置の案内板があり、日光社参を描いた錦絵があると知った。
案内板は古く、白茶けているのでおおよその様子しか読み取れなかった。
現物はどこかにあると思うので、 探して眺めてみたいと思った。
また、この案内板の西側には発掘中の広い場所があり、建物跡のようであった。
教育委員会で確認したい。歩道がしっかりしていない場所をどう扱うか。
安全誘導に配慮し、中田宿から古河宿への道はぜひ辿りたい。
オスプレイが配備される沖縄の村では、以前、米軍の戦闘訓練のため、
子どもから大人までの村民が、ベトナム人の役割をさせられたそうだ。
どこまで翻弄されるのか、ドキュメンタリーを見ていて涙がでてきた。
米軍基地をかかえる岩国や横田、厚木ほかでは、ずっと騒音などに悩まされている。
その騒音が尋常でないのは、先月、つくば国際でたくあんを寄付してくれた工場へ行き、
茨城空港の騒音を間近に聞き驚いたが、それどころではないらしい。
わが家の上空も時々以前より低空で、自衛隊機らしき飛行機が飛んでいる。
それだけでも、不快なほど五月蝿い。これが空港の近くだったら耐えがたいと思う。
狭い国土の騒音と、広大なアメリカ大陸での騒音では、公害の度合いはまったく違う。
沖縄の公務員が、住民を(国の指示で)だましながら作業を進める様子を見ると、
以前公務員であった自分には他人ごとではない。
私はたぶん、耐えがたく、退職してしまうか、陰で、住民に情報を流したりして、
国に反逆する道を選ぶだろうと思う。
ウォーキングマナーにも関わるかもしれない。ウォーキング中、後の飲酒である。
私も、例会以外ではつい手が出てしまう。例会では、古河着まで抑えているが…。
夕方のニュースで、飲酒後の泳ぎは危険だと報じていた。
飲酒をすると、脱水が進み心筋梗塞などに繋がることに加え、体の反射機能が低下、
血圧も上がりやすいなどで、飲酒していない人に比べ死亡につながる率が高いそうだ。
ここでも脱水の問題があった。
ウォーキングで汗をかき、ミネラルが失われ、脱水が進む。そこに飲酒が加わると、
脱水を促し、熱中症になる率が高まるということだ。
このような因果関係を知ると、参加者に対し、ウォーキング中、直後の飲酒は慎むよう、
会の姿勢として伝えることが必要である。次回の役員会で検討しておきたいと思う。
また、同じ番組で報じていたことであるが、溺れたら「大声禁止」だそうである。
実験の様子も見せた。大声を出すと、肺の空気が放出され、体の浮く働きが失われる。
結果、浮くことができず溺れるということらしい。
私は30年以上前に溺れそうになったことがある。茨城の海の足の着くところで、
岸に平行に平泳ぎで泳いでいた。ふと気がつくと、沖に流され、足がつかない。
岸には家族が見えたが、助けを呼ぶのは恥ずかしいと考え、必死で岸に向かった。
いくら平泳ぎをしても岸が近づかない。クロールはできないと思っていたが、
クロールらしき泳ぎに切り換えたところ、推進力が増したらしく、岸にたどり着いた。
岸にあがったらぐったりとして、改めて死の淵にいたことに思い至った。
後付けの考えであるが「恥ずかしいから助けを呼ばなかった」のが実際のことかどうか、
わからないが、結果としては、良かったようだ。
日光社参の行列が、その昔、栗橋宿から舟橋を設営して中田宿に入り、市内を通過して、
野木宿に向かったことを考えるのは、映像をもって想像すること自体は楽しいものである。
まして、わが家からほんの数百メートルの通りを通過したと考えると、現実味もある。
しかし、「将軍の通った道」、「坂本龍馬の通った道」などと、有名人に頼った計画は、
いかがなものかと思う。インパクトがある、関心を得やすいということもあるだろう。
人集め、収入増などをねらったり、ただ、計画のための計画に陥っていないか。
今回も、話は前からあったが、具体的な提案は7月になってからだった。
一昨年だったか「日光ウオーク」のときは、用意しておけといわれたが、依頼は無かった。
このような泥縄的な計画を毎回押しつけられるのは、願い下げであるが、けっこう多い。
今回、県として受けてしまったので、取り組まざるを得ない。
明後日は、下見の下見として、当会なりに意見を言うため、コースを歩いてみる。
日光街道を歩くのであれば、危険が無い限り、忠実にコースを辿りたい。
コースを検討すること自体は楽しいのだが、バタバタと対応するのは気に入らない。
検討(してくれること)を祈る!
当会では、出発式などで拡声機を使っている。高性能なので、通常の例会では十分だ。
私は手話をしながらマイクを持てないので、このようなマイクを使っている。
しかし、最近はあまり使わなくなってしまった。
セットに時間がかかるし、格好が派手なので、つい遠慮してしまう。
地声と手話だけで話しているが、十分に伝わっているか。手抜きかなと、思っている。
拡声機を出したりセットしたりの時間が、無駄な時間と捉えられていないかと、
いつも気にしているので、つい遠慮してしまうのが原因だ。
誰のための遠慮か、落ち着いた状況で手話をしていないので、私の判断では、
手抜きである。
耳の聞こえない人に対して、手抜きである
今夏、国内で開かれた原子力技術者を集めた国際セミナーでのこと。
「核兵器をつくるよう命じられたら従うか」と受講者に問うと、複数の日本人が、
ためらいもなく「Yes」と答えた。外国人は、「被爆国の日本には、
核兵器をつくらない責任があるんじゃないか」と反応したそうだ。私もそう思う。
では、自分が実際に、同じ状況に置かれた場合どうするのか。
身体に危険(拷問や脅し)が及ぶと自信がないが、不利益だけなら拒否する。
私はそのように生きてきた。暴力団に屈服したことが1度あるのは恥ずかしい記憶。
「人間の條件」で梶上等兵が置かれた状況では、やはり恥ずかしい態度しかとれない。
人間の尊厳を脅かす可能性のある状況を憎む。
船橋歩こう会がコースを管理しているイヤーラウンドコースを歩いてきた。
東武デパートでもらったコース図には、「ウォーキングマナー五ケ条」 となっていた。
船橋歩こう会のうっかりなのか、確信犯なのか、どちらだろうか。
確認したところ、HPは開設していないが、千葉県協会で掲載している資料を見ると、
確信犯であることがわかって嬉しかった。団体名は大きなオ、ウォーキングは小さなォ。
書き分けていた。
問題は「マナー」の中身の方だ。
「4.自分のゴミ、自分の責任もち帰り」
多くの人は、ゴミ箱があれば置いていく。無ければ、駅までもち帰り、ゴミ箱へ。
ひどいのは、コンビニのゴミ箱へ入れる人もいる。さすがにコンビニは注意するが、
それ以外は注意していない。
会の方針として、このマナーを徹底したいが、実施にあたっては簡単ではないと思う。
私も、持ち帰ることが多いが、ゴミ箱に入れることもあり、徹底していない。
会の方針として「徹底」しようとすると、抵抗が想定される。
この程度のことが徹底できない組織というのはどうなのかとも思うと、気が重い。
戦後70年ということで、戦争に関するニュースがよく流れる。
昨日、その中に「国賊」という言葉を聞いた。
周囲の流れに嫌だと言ったり、反対しようとすると、「国賊」になってしまうと。
ドラマや小説でもよく描かれる場面であるが、今の社会の動きには心配なものがある。
外国ではどうだろうか。日本では反対意見には感情的な反応をされることがある。
合併後初めての「第32回体力作り歩く会」に初参加した。隣町で行われていた大会。
事前に説明会があり、最後の質問の時間でのこと。
歴史のある大会であり、決まり切った対応の内、ある点に疑問を感じ説明を求めた。
すると、参加者の中から「雰囲気壊れるなぁ」という、投げやりな発言がだされた。
担当者は説明をしてくれたが、 発言者からは、発言を封じようという思いが伝わった。
異論を聞くことに不快感を示す人はけっこういる。それが複数から、集団になると、
力を持ってきて、発言封じから、「国賊」のような「レッテル貼り」につながってくる。
そんなことを思い出させた、今回の「戦争許可法案」強行採決であった。
日光社参ウォークの下見用地図をコピーするため、いつものコンビニに行った。
ちょうどフロアマットの業者が作業中で、入り口他何ヶ所かのマットを交換していた。
コピーをしながら見ていると、交換したマットを踏まないように店を出入りしている。
外に止めた車と店の間を何度か行き来していたが、その度にマットを避けている。
提供した商品は、自分の足で踏まないと決めているかのような仕草だった。
店の人に聞くと、担当者によって違うが、今日の人は、いつも同じ対応だという。
仕事であろうが、ボランティアであろうが、何事もきちんと対応すべきと、私は思う。
ボランティアなのに、堅苦しい対応を求められるのはいやだという声をよく聞くが、
仕事であろうがなかろうが、要は、その人のものごとに向かう姿勢なのだと思う。
部屋につるしてある衣類を眺めていると、つまらない色が多い。気がついてはいた。
なにがしかの衣類を買いに行くと、気に入った色、柄は売り切れであることが多い。
そこで、残った色、柄からまぁまぁのもの選んで買うことが多いから、こうなるのだと。
とくにユニクロは単色が多い。売り出しには行かず、いつも必要になってから行く。
ファッションをバカにしてきた報いか。この歳になると今更という思いが先に立つ。