悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

現代姥捨て考

2012-04-30 22:52:49 | 雑記

介護保険の長期入所契約のため、施設に行ってきた。これまでに、ショートステイ、
デイサービス、訪問リハビリ、介護用品のレンタルなどを利用してきた。
介護保険は、高齢者を抱えた家族が、介護疲れなどで、共倒れにならないよう、
サービスを提供するのが主な目的だと思う。
本来の目的は、少し違い、利用者の家庭復帰のために、残された能力を保全し、
リハビリサービスなどを利用するため、一時入所させることにあるのだろう。

しかし、ショートステイから帰宅する際、迎えに行き利用者の様子を見ると、
まるで生気のない様子で、ただ置かれているだけといった様子の利用者が大半だ。
主に利用する施設以外に、2~3ヶ所の施設とも契約をしており、時々利用する。
利用者の様子はいずこも同じだ。
自分の判断で動き回れる人はよいが、脳溢血や痴呆などで行動に制限がある人は、
ほぼ放置状態だ。職員の数が限られているので仕方がない。

望ましいのは、マンツーマンでの対応だが、望むべくもない。
それらの状況がわかっていながら預ける側は、「姥捨て」の思いに駆られる。
時々事件になるような、悲惨な老老介護の結末を避けるためとはいいながら、
当たり前とは思い切れない。
経済的に恵まれていれば、リハビリスタッフを個人的に雇い、自宅で生活させたい。
今の母の状態であれば、車いすで自宅内を自由に動き回れるよう大改造したい。
施設での母は、車いすでけっこう動き回っているようだ。
家では、廊下以外は1mくらいしか動けない。
ただ、わが家の経済状態でも、優先的に母にお金をかけることはできる。
だが、自分の老後を考えると、母の年金の範囲内での対応となってしまう。

悲惨な事件を起こしてしまう人は、私なんかよりずっと老親に手をかけ、
面倒を見ていると思う。

私は、介護保険、福祉の制度を利用して、自分の力はそこそこに使っているだけだ。
事件を起こしてしまった人を、とても責められない。
制度を利用すれば良かったとも言えない。
私と同じにすれば良かったとも、とても言えない。


エネループ

2012-04-29 21:47:56 | 雑記

充電式乾電池で性能がよく、買ってから3年後でも使える、継ぎ足し充電ができる、
などが売りの充電池。サンヨーのヒット商品。
充電器が一つしかないので、単1まで充電できるものを買おうと思って電気店に行った。
ところが、エネループの棚が縮小され、代わりにパナソニックの「エボルタ」が増えた。
店員に聞くと、サンヨーはパナソニックに買収され、製品は店内からなくなったとのこと。
WEBで調べたが詳しいことはまだわからない。
「SANYO Panasonic」という表示があるから、一緒になったのは間違いなさそうだ。

会社の栄枯盛衰はよくある話だが、つい最近まで定評のある製品を作っていた会社が、
このように姿を消していくのは寂しい。
サンヨー製品では、以前、職場で専用ワープロを使っていた頃、
肢体不自由者が使うのに適しており、重宝していた。
専用ワープロは、互換性その他でパソコンのワープロに駆逐されてしまった。

近代の波に駆逐された商売というと、真っ先に思い浮かぶのが活弁士。
他にも数え切れないほどたくさんの職業があったと思うが、
時代の流れの中で多くの人が辛い思いをしたと思う。

商品他や会社とはちょっと違うが、福祉の森会館の組織が縮小したことも残念だ。
20年前、OT、PT、ST、保育士などの専門職を擁し、障害児・者の訓練、
福祉を進めてきた。県内でももっとも進んだ取り組み、組織を誇っていたと思う。
合併によって組織の理念が大きく変えられてしまい、順次縮小、分散されてしまった。
古河市の貴重な財産が、消されてしまったと思う。

このように、昔を懐かしむようなことを残念がったり、寂しがったりするのは、
時代に取り残され始めた証拠かもしれない。


大会参加と会作り

2012-04-28 22:50:03 | 雑記

以前からの歩き仲間と一緒に「さくら・20㎞コース」を歩く。
参加者が多かったため、多少ブレーキがかかるので、時速5㎞くらいか。
実距離と、所要時間から換算すると、昼食時間を差し引き、やはり5㎞くらいになる。

一般参加で、他会の例大会に参加すると、自分の身の始末だけを考えればいい。
当会の例会の場合は、それなりに楽しいが、引率の責任があるので楽しさの中身が違う。
よくスタッフは大変ですねといわれるが、「下見と本番で二度楽しめる」と答えてきた。
その言葉にウソはないが、責任感と同時に、例会をうまく進めたときの喜びがあるので、
やはり「楽しさの中身」が違うと言うしかない。

以前、会設立当時は、歩きとウォーキング講座と交互に実施していた。
翌年から毎月例会を実施するようになった。
最初の頃は、ほぼ一人で下見、本番とこなしていたので、
自分の個人的な歩きを邪魔しないように行事計画を立てていた。
現在のように、会員も増え、例会の数も増えてくるとそうもいかない。
全国の大会、関東甲信越ML、その他人気の大会を外して例会を組むようになった。
いきおい、例会優先となるのも仕方がないと、嫌々ではないが諦めるようになった。
どうしてもという場合は、他の役員と調整して出かけるようにしている。
それらが嫌になったら、役員はできないと覚悟している。

会には、楽しく歩きたいから入会するのが普通だ。私は、自分の希望で会を作った。
当初、代表を受けることは想定していなかったが、
役員を受け持つことは最初から了解事項だった。
楽しく歩くために入会した人が、役員を受ける場合、私とは多少立場が違うだろう。
役員になるということは、運営の一端を引き受けることなので、
多少の責任が発生するのは仕方がない。
入会後ある程度の年数を経て役員を受けることが多いが、
手伝ってもらいたくて年数を経ずに依頼されることもある。

会活動を継続する中で、後進を育てたい、運営に関わりたい、という会員を育てるのも、
組織としての役割だと思う。
活動そのものが魅力的ならば、自然に育っていくと思われる。魅力的な会作りがあって、
後進は結果として育っていくものと思わなければならないだろう。

<本日の歩行23㎞>~141日目
第17回東京フェスタ参加23㎞(9:20~14:45)
※久しぶりの20㎞、膝がかなり疲労した。何度か躓き転びそうになる。
その度に膝に負担がかかり、痛みというほどではないが、「いつまで支えられるか」
という不安を感じた。


痴呆の検査から話は広がる (^o^)

2012-04-27 22:08:58 | 食べ物

母の通院に付き添って内科医院に行くと、「今朝は何を食べましたか?」と聞かれる。
母は、いつも答えられないので、「家族で記憶を喚起する取り組みをして」と言われる。
私に同じ質問を振られなければ良いがと、いつも思ってしまい、冷や汗ものだ。

今朝は、1合だけ炊いたご飯、卵焼き、豆腐、キュウリとわかめの酢の物、
ショウガの漬け物少々。三杯酢が少し余ったので、捨てようかと思ったが、
もったいないので考えた末、豆腐にかけた。これがさっぱりしていて、意外に良かった。
卵は、小さめ二個。めんつゆ、砂糖小さじ1、水大さじ1を加え焼く。キュウリは、
近所の八百屋で曲がって安いのを買ったもの。

昼は、残りのご飯。通信配布から帰る道すがら、駅ビルでおかずを買う。
カツ煮、里芋と薩摩揚げの煮物。これに朝の残りのおかずで食べる。

夕食は、先の例会で教わったもやしとピーマン、じゃこに、
煎りゴマを絡めたピリ辛サラダを作る。
たれは、豆板醤小1、酢大1、醤油大1、ごま油小1。
これに、豆腐、やはり残りの酢の物、煮物の残り。

今日は、朝から献立について書こうと思っていたので、意外に思い出せた。
することなす事に意識的に立ち向かうと、案外覚えられるのかもしれない。

夕方、本日最後の機関紙などの送付でコンビニに行った。たいてい本のコーナーを覗く。
「麹の料理」という本が目についた。最近、麹が人気だそうだ。
立ち読みをしたら食指を動かされたので、けっこう長い時間をかけて買うことにした。
写真がとってもうまそうだったので、よけい食指を動かされた。

あまり行かない店なので、店内をうろうろしていたら、
昔の手話サークルの知り合いにあった。
彼女は、最近はあまり行っておらず、サークルのあり方にも疑問を持っているらしい。
手話をコミュニケーションの手段と捉えているとのこと。
気軽なボランティアという風潮や、単語を学ぶだけというあり方に疑問を持っている。

私は、要約筆記サークルの立ち上げに躊躇したが、最終的に関わらないことになりそうだ。
しかし、情報伝達の手段として、手話や要約筆記について関心があるので、
どういう形でか、関わっていきたいと思っている。
可能であれば、手話、要約筆記、その他の方法で、情報伝達に障害をもつ人との関わりを、
続けていきたいと思う。
「コミュニケーションサークル」のような(多少安易だが)あり方は可能か、考えてみたい。

<本日の歩行3.7㎞>~140日目
自宅~通信配布~自宅3.7㎞(11:00~12:00)
※雨の中合羽を着て通信配布。今日の歩きはこれで終了


新聞からの抜き書きみたいなもの

2012-04-26 23:25:00 | 雑記

ぼくには「常識」がない?と、作家の高橋源一郎が書いている。
常識、に括弧が付いているから、いや、世間の「常識」のほうがおかしいよ!
と言っているのだろう。

入学式の歌を巡る異様な風景は、
けっして子どもたちのための歌ではないことを物語っている。
大人の、あるいは大人につながる役所のための儀式だからこそ、
あんなに騒いでいるのだろう。

世界の常識と日本の常識。知らされていないことがたくさんあるようだ。

国連は、「厳しい競争環境が子どもたちをイジメや精神障害といった、
不幸な状態に陥らせている」と日本に勧告したそうだ。
氏の、この一文くらいでは、勧告はいずれ忘れ去られるだろう。

北朝鮮の「ミサイル」発射についても、海外のメディアは「ロケット」と呼んでいる。
日本では大騒ぎしているけれど、その「ミサイル」よりも、
アメリカ軍が持ち込んでいるかもしれない核兵器や、
福島第一原発4号機の燃料プールの方がずっと怖いと思っちゃうのは、
ぼくに「常識」がないからなんだろうか。と結んでいる。

昨日の花桃実行委員会、あまりにも少ない出席者。出される意見は、いつも同じ。
30㎞コースの新設。会場を総合公園に。主にこの2つだ。
三分の二の実行委員は、あきれているのだろうか。いつも代わり映えしないから、
出席しても意味がないと思って欠席したのかもしれない。
このままでは、旧態依然の大会を延々と続けるしかない。
多くの実行委員が、参加者を増やしたい、大会を魅力的なものにしたいという方向に、
意識を変えるためには、やはり我々ウォーキングクラブが、
本気になって変えていかないと変わりようがないだろう。

席上、「飯能新緑ツーデーマーチ」に誘ってみたが、まったく反応がなかった。

参加者へのアンケートは、ほとんど回収されなかった。
積極的に回収しようという姿勢がなかったから、回収箱は、隅の方におかれていた。
アンケートを書く場所もなかったから、少なくても当然かもしれない。
今回、回答してくれた参加者は、ゴールまでのどこかで書いてくれたのだろう。
また、私たちも、箱を持ってでも回収しようとはしなかった。
実行員会ではこのことには触れなかった。
少しだけ集まった回答に、大会を評価する意見が多かったことだけは、救いだった。

私たちの取り組みも、徹底を欠いていたと思う。
私たちはこう協力するから、こうしてくれと、具体的な提案を出していかなければ、
何のための地元のウォーキングクラブだと言われるだろう。

来年こそ!と思うのだが…


花桃W最終実行委員会

2012-04-25 22:47:26 | 雑記

決算報告の他に反省会という位置づけで、毎回翌月に開催されている。
41人の実行委員にうち、13人の出席。内当会の会員が5人。
体育協会の担当者から、成果報告、決算について説明があった。
1名の実行委員からスタートとゴールが違うことにより、
行き来がたいへんだったという発言に続き、スタートゴールともに、サッカー場に戻したい、
という意向の発言がされた。
花桃まつりは観光協会の主管であり、そのお先棒を担いでいるような発言が、
同氏から続いた。
私は、花桃まつりも花桃ウオークも同じく市主催であり、
全国から参加がある花桃ウオークを、花桃会場で迎えたいとの発言を繰り返した。
同氏は、偏った発言であったことを反省したのか、
花桃まつりの主催者である古河市あるいは観光協会に対し、
正式に同会場で開催すべし、と申しいれることが必要だという方向に話は進んだ。
しかし、それを補強する意見は出なかった。
一部、受付担当の実行委員から、雨天決行の大会であるから、
参加申込の記載台にはテントを張った方がよい、数も少ないとの発言が一つあったのみ。
30㎞コースの新設については、とくに話が進まず。
救いは、アンケートの結果から、大会の取り組みが好意的に受け止められた、
との認識は共有できたようだ。
それ以外には、出席者も少なく、全体に低調な反省会であった。

どこに問題があるのだろうか。

市長も、社会体育課からの出席もなく、こうしたらどうかという発言もない。

最後に、体協の担当者から、花桃の時期にマラソン大会を開催したいとの、
市の意向があるが詳細は未定との発言があった。
両方実施するのはたいへんだという話もでた。
この調子だと、マラソンに吸収しようとするか、どちらか一つに絞ろうとするか、
あまり嬉しくない方向に話が進みそうだ。
それで良いのかという発言は出ず、市がそういうなら仕方がないという結論に進むか?

<本日の歩行10㎞>~139日目
自宅~ほどほど往復10㎞(11:40~14:20)
※久しぶりに歩いたような気がする。
昨日雨が降ったせいか、空気が澄んで気持ちが良かった。


アンケート集計結果

2012-04-24 22:38:38 | 雑記



当会では、会員のウォーキングに関するアンケートを実施した。短い期間であったが、
多くの会員の協力があり、72.2%の回収率であった。

アンケートの集計に先立ち、基礎情報として、創立以来の会員数の推移、男女比、
平均年齢、在籍年数などの数字もあげて参考にした。

ほぼ3分の2の会員が、健康に好影響が期待できる、週3日~毎日、歩いている。
歩く目的として、健康、体力、介護予防などを念頭に置いている会員が多い。
「歩くことで良い結果が得られたか」の問いには、回答者全員が効果ありとしている。
「ウォーキング以外の運動」を尋ねると、ラジオ体操、卓球、太極拳を始めとして、
多種多様な運動を行なっている。

この集計結果を見ると、ウォーキングの健康への効果は一目瞭然だといえる。
この結果に力を得て、ウォーキング人口を増やすべく、活動を広げていきたい。
なお、この集計結果は、各方面に配布し、参考にしてほしい。
会員には、通信と一緒に全世帯に配布する。


非効率な生き方

2012-04-23 23:12:08 | 雑記

阪神大震災を機に、交通機関がマヒし、通信網もマヒした。
そこで、歩いて家まで帰れるか、という課題が持ち上がった。
私も関心をもち、当会でも東京から古河までの60㎞を歩く計画を考えた。
実現には至らなかったが、いずれ実施できたらと思っている。

今回の大震災では、帰宅を急ぐあまり混乱を起こしたとして、
会社や出先にとどまることが必要であるといわれるようになった。

(混乱を避けるため、ライフラインのめどがつくまで、現在地で様子を見ることは、
現実対応として必要だと思う。と言うよりも、順序としては、現状を判断して、
それ以降どう行動したらよいのか、適切な対処法を、自治体なり、国なり、
発信できる機関が指示を出せる態勢を取れればよいと思う。)

歩いて自宅まで帰ることができる脚力をつけようというテーマの立て方は、
いっきょに現実味を失ったかのようだ。

しかし、家まで帰ることができる脚力をつけることは無意味ではない。
大事故や震災だけでなく、長距離を歩いて移動する脚力はあった方がよい。
その気があれば誰でも身につけられる。
ただ、多くの人は関心をもたない、一般的でない能力であるかもしれない。
一部の物好きの趣味であるかのように思われているかもしれない。
社会では効率が求められ、早く移動するための手段が追求されている。
しかし、その行き着くところは効率優先の人工的な社会でしかないと思う。
どこかで、人間は非効率で、ゆったりとした生き方を選び直さないといけないと思う。
この時期、そんなことを考えるようになった。


学べる人、伸びる人

2012-04-22 21:59:08 | 

朝日新聞に、「仕事力」というテーマで、「仕事をするにあたっての姿勢」や、
「仕事とは何か」について、著名人が4~5回ほどの連載で書くコーナーがある。
今日は、内田樹の最終回。
内田樹という人は、「寝ながら学べる構造主義」を書いた人。
ここでは著作家、武道家、大学教授と紹介されている。

学べる人の3条件を書いている。
①自分は完全でないと自覚でき、向上心をもてる
②指導者を自分で見つけられる(故人でも、著作でも、先輩、友人でも良い)
③素直な気持ち(愛嬌)をもてる

これらの条件をまとめると以下のようになると言っている。

「学びたいことがあります。教えてください。お願いします。」

私はどうだろうか。①の前半だけは、完全にではないが該当する。
②については、本から学ぼうとする姿勢が、少しだけある。
③は、なかなか難しい。バカになれない本当のバカに近いだろうか。

以前の職場の同僚に、有能な人がいた。①~③すべてに当てはまった。
彼は、より有能な先輩から学ぶ姿勢を持ち、大きく伸びて、職場から去っていった。

自分に対し不全感を持っても、自己否定に向かっていては向上できない。
人の良いところを見いだし、場合によっては直に学ぼうとする人は素晴らしい。
大人になると、自己を空しくして、さらっと教えを請える人は少ない。

このコーナーはけっこう面白い。
下記に朝日新聞のHPのアドレスを書いておくので、関心のある方はご覧あれ。

asahi.com(朝日新聞):就職・転職「仕事力」


日々を綴る

2012-04-21 22:37:25 | 雑記

文を綴ることについては、多少苦い思い出がある。小学生の時、作文の宿題があり、
関東の奇祭といわれる「提灯竿もみまつり」について書いた。
私は元々絵や作文が苦手で、絵は汚い色づかいになるし、作文は、「何時に起きて、
歯を磨いて、~をしました」風の文しか書けなかった。

ところがこの時は、母に手伝ってもらって書いたので、
ほめられたか教室に張り出されたか、した記憶がある。
細かいことは忘れてしまったが、良くかけた作文だったと思う。
それだけに、未だに後ろめたさみたいなものがある。

今日の定例会の帰りの電車の中で、機関紙に掲載する投稿文の依頼をして回った。
作文の苦手な人は多いようで、なかなか承諾をもらえなかった。
遠慮してということもあるので何ともいえないが、文を綴ると言うことは、
生の自分を表現することにもなるので、よほど慣れていないと、
求めに応じた文を書くのは、難しいのかもしれない。

事実を書きながら単なる羅列ではなく、かといってオーバーな表現にもならず、
6~7割の事実と、語りすぎない脚色でまとめるのは、けっこう難しいことだと思う。

文を綴ることには、表現する楽しみというものもあると思われるので、
良い文章を読んだときの楽しさ、感心、
感動の一端に連なれる喜びもあると思う。

このコーナーも、もうすぐ10ヶ月になる。
「ワッセ」の編集をしていた人が、ご自身のブログを1年半続けている、
という話を聞いたことがある。

これまで書いていたブログは、書いたり書かなかったり、1~2ヶ月休んだりと、
かなりいい加減だったので、連続投稿のまねをしたい気持ちも少しあった。
文を綴る=自己表現の練習にもなるので、できるだけ途絶えさせないで、
書き続けて行きたいと思う。

<本日の歩行11㎞>~138日目
岩間駅~フラワーヒル花ぞの~館岸山~普賢寺~岩間駅11㎞(10:00~15:00)
※定例会「館岸山ハイキング」