悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

十年ぶりの尾瀬

2006-06-21 20:04:34 | Weblog
 いつも竜宮に泊まっていましたが、今回は弥四郎小屋。6月に来たのも初めてですが、もう1週間早いと最高だったようです。10年ぶりでしたが、尾瀬はそれほど変わらず迎えてくれました。何か洗練されたような印象があちこちに伺え、ある意味で寂しさを感じるのは歳の所為です。
 行き交う人の声を聞いていると、関西からの来訪者が多いと感じました。たしか、緯度の高い湿原では、尾瀬が最南端だったような気がします。冬山は怖いので行けませんが、6月~10月の尾瀬をじっくりと楽しみたいと思いました。
 

骸骨

2006-06-17 11:07:41 | Weblog
 Every family has a skeleton in the closet.…”どこの家にも、他に知られたくない隠し事の一つや二つはあるものだ”ということらしいが、今時、どこの家の戸棚その他の収納家具の中に、スケルトン製品の一つや二つあってもおかしくないやい。…と、外来語嫌いの私などは思う。

 まぁ、冬季競技の一つスケルトンを、競技人が使うのは文句の付けようもないが、時計や電機製品を”スケルトン”と言ってはばからないのは、如何なものか。どうもこの”スケルトン”、日本語のような気がする。

思い入れ

2006-06-13 18:09:34 | Weblog
 烏瓜は、地植えが良いらしいが、つる性でやたらとはびこり、普通の庭には似合わないというので、鉢植えにした。しかし、つるがやたらとのびるので置き場所に困る。そこで今年は、家の裏手に移した。そこにはいつも邪魔にされる”ヒイラギ南天”の下だ。そのうち、地植えにしようと思っている。

 先の、長良川ツーデーでは、二日目、リュックに烏瓜の写真を付けて歩いた。誰かが、何ですかと聞いてくるのを楽しみにしたのだが、誰も聞いてこない。そこで、話のできそうな人の前を歩く時に、「これ何かわかります?」と聞く戦法をとった。誰もわからないので、得々と説明した。しかし、先に報告したとおり、二日目は過酷なウォークとなったため、二人にしか聞けなかった。

 なぜ、こんなにも売り込もうとするのか。まずこの美しさに参っていること。次に、夏、嫌いな蚊をものともせず、墓場やその脇の藪に3晩通い、やっと1枚撮ったのがこの写真。暗くならないと咲かないため、フラッシュをたき、場所が場所なので、小さな脚立を使ったり、蚊取りや蚊避けパウダーを使用した。たいへん苦労の一枚な訳である。三つ目に、知らない人が多いこと。母は、80歳近いが、生まれて初めて見たと言っていた。農村の生まれなので、秋の実はいつも見ていたが、花は初めてと言う。四っつめに、ピントが今ひとつだが、これほどきれいに撮れた写真は見たことがない。雨や、風で容易に形が崩れるので、これは、かなり良い状態だと思う。

 どこからか、「亭主の好きな赤烏帽子~」という声が聞こえてくる

古本とおやつ

2006-06-11 19:01:12 | Weblog
 古本の良いところは、第1に安価なことである。先にも書いたが1円という破格なものもあるし、古本屋の店先には10円などというものも並べられている。また、現在品切れや、出版されていない場合もある。こんなとき、安く買えると嬉しくなる。

 しかし古いということに由来するあまり芳しくないこともある。良くあるのが、食べこぼし。せんべいやクッキーなどを頬張りながら読んだのだろう。しおりを使えばいいものを、ページの隅を折る輩もいる(折り癖)。指の乾燥している人は、ページをめくるときに指をなめる(なめ癖)。食べこぼしは、比較的、対処がしやすい。食べながら読んだことが歴然としているようなときは、洋服刷毛などを用意して、掃きだしながら読み進める。しかしたちの悪いのは、なめ癖の場合。これが、保管の状況にもよるが、黴となる。ティッシュでふき取れればよいほうだ。
 
 今までで、最高、最悪だったのは、西村京太郎の小説(作家は関係ない)の時で、三分の一くらいのページに、1~2本ずつ、押し花ならぬ、押し鼻毛になっていたこと。この丹念さにはあきれたが、良い気持ちはしなかった。

 今読んでいる、藤沢周平全集は13巻目に入った。きれいに保管されていたようで状態は良いが、時折食べこぼしがある。かなり控えめだが、クッキーなどを齧りながら読んでいたらしい。しかし、砂糖をまぶしたような菓子類ではなく、割りにさらっとした、菓子類のようだ。簡単に掃きだせるので助かる。時たま、チョコレート様の菓子だと、こびり付いてはがれない。

 私も、たまに食べながら読むので気をつけるが、私は本を売ったことがないので、子や孫が読んだときの心配くらいで良いかもしれない。

江戸のまちとウォーキング

2006-06-10 14:46:57 | Weblog
 藤沢周平が江戸のまちを描いている。町人や武士、アウトローたちが歩き回るまち並みを、ふと、自分も歩いてみたい思いに誘われる。だが、あの時代に、町中をのんきそうに歩くことが許されるだろうか。江戸登城ウォークなどに代表される、時代を題材にとったイベントがある。それはそれなりに、楽しいイベントだと思う。しかし、現代の感覚を持ったままで、あの時代を歩いてみるとどうだろう。想像しかできないが、楽しい時間である。
 今日読んだ、「闇の歯車」の中に、土井大炊頭(おおいのかみ)下屋敷というのが出てきた。雪の結晶を研究し、「雪華図説」を著した土井利位(としつら1789~1848)のことか。官名が大炊頭であったことから、雪華の模様は「大炊文様」とも呼ばれたそうだ。

 土井は初代の土井利勝が大炊頭で、切れ切れだが大炊頭の官職を持つものが多かった。「闇の歯車」の時代は、井伊掃部頭(井伊直弼1815~1860)の屋敷が出てくるので、利位か養子で利亨(としなり)の時代であったと思われる。

2006-06-08 10:21:45 | Weblog
 爪を噛む癖のある人はどうこうと言われるが、向田邦子さんは脚本書きになっても止まず、爪噛みをテーマに一文をなしている。私には爪を噛む癖はないが、物書きにもなれそうにない。
 手の爪が伸びる人は、仕事をしない人というのを聞いたことがある。私は、足の爪はあまり伸びないが、手の爪はすぐ伸びる。だからと言って、良く歩く人とも言い切れないのは残念だ。
 足の指は、4~5年前はきれいだった。長距離を歩くようになって、一時爪に血豆ができ、いくつかはがれたが、きれいに再生していた。その後歩かなくなり、歩きを再開したら、軟弱になっていた足は、てきめんに報復してくれた。最近またきれいになりつつあるが、小指の爪は、再生を繰り返したので、牡蠣の殻状になってしまった。
 体験者から一言。ウォーキングの前日には足の爪を切らない。短くなった爪で指先に傷を付けることがある。どうしてもという時は、深く切りすぎないように注意すること。