悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

わかりにくさ

2011-08-24 18:44:21 | 言葉

聞こえないということは、当たり前だが、見た目には分からない。善意からとは思うが、
大きめのバッジなどの目印を付ければわかりやすいという人がいる。

ペースメーカーを付けている人、脊髄損傷でトイレが近い人、弱視や色盲の人、
内部障害などの人も、皆それと分かる標識をつけた方がよいという人がいるだろうか?
いるかもしれない。

それぞれの障害をもつ人が、必要に応じ自分の(不自由な)状況を表明すれば、
即対応できる社会であってほしい。だが、遠慮なくいえる環境を整えなければ、
絵に描いた餅でしかなく、一部の強心臓の持ち主しか利用できない。

障害がない人にも、白人にも、皇族にも、定職を持っている人にも、気の弱い人強い人、
目の良い人悪い人、威張る人おとなしい人…要するに、どちらにもいる。

あるいは、ユニバーサルデザインの別の流れかもしれないが、
聴覚障害者にとってわかりやすい表示、視覚障害者向けの音声表示などが、
公共施設に義務づけられると、生活の幅が格段に広くなる。
前者は、黄(地震その他)と赤(火事)の点滅ライトで災害を知らせたり、
文字表示で何が起こっているか知らせるなど。
後者は、盲人用横断歩道だけでなく、特定の発信装置を持った人が近づくと、
その場所の説明を音声で知らせるなど。
いずれも、実用化されているが、設置数が限られているだけだ。

やたらに威張りたがる人がいるが、彼らにもそれと分かる標識を付ければ、
敬して遠ざけることができるかもしれない。

しかし、それは邪道だ。聞こえない人にバッジを付けるのも、
理解しにくい人たちを自分の枠内には入れたくないということである場合がある。


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