悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

昨日の画像から

2012-02-29 22:21:35 | 障害者問題

社会文化会館3階会議室
音声で話される内容は、すべて手話通訳とパソコン要約筆記で伝えられる。
右端に見えるノートパソコンで打たれた内容が、スクリーンに表示される。

高松地裁に、「手話通訳派遣拒否違憲訴訟」を提訴した池川さんが、
提訴にいたった経過説明を、手話で話す様子が、東京会場のスクリーンに映し出された。

高松地裁に弁護団とともに向かう様子。

ろうの田門弁護士も加わっている。
ろう者が手話で話すときは、プロジェクターの後ろに読み取り通訳がいて、
手話のわからない人と、パソコン要約筆記者に向けて、音声で伝える。

この日の話の中で印象に残った言葉は、コミュニケーションをするときに、
一方にだけ負担を強いるのは良くない、ということ。

聞こえる人中心の社会では、話の内容を知りたいろう者は、
手話通訳を用意しなければならない。

講演会などで手話通訳を配置するかどうかは、主催者の裁量に任されている。
聞こえる人は、傍にろう者がいた場合、手話通訳を呼んでこなければならない、と、
言われたら、どう感じるだろうか。

ウォーキング大会の参加要綱(チラシ)には、身体障害者は、介助者の同伴が必要である、
と、書かれていることが多い。参加するのはかまわないが、
主催者が困らないようにして、という意味か。

「かすみがうらウォーキング大会」では、視覚障害者の参加に対しては、
誘導担当のボランティアが配置されている。
「かすみがうらマラソン」が、「世界盲人マラソン大会」を兼ねている関係で、
そのような配慮がなされている。

もし、当会に視覚障害者が入会した場合、どう対応するか。
手引きはなんとかできるだろう。
墨字(書かれた文字)情報は、点訳友の会などに依頼して、提供できる。

ろう者の入会については、何となく当たり前に受け入れ、対応してきたが、
役員会に諮るべきだっただろうか。
視覚障害者から入会希望があった場合は、会の総意として対応できるよう、
役員スタッフの合意を得て進めていくことにしよう。

<本日の歩行10.6㎞>~100日目
自宅~からきや~ほどほど~自宅10.6㎞(9:40~12:10)
※雪の中を歩く。コーヒーとにんじんケーキ。新幹線の手前で
菅原会長から携帯。花桃チラシ30部。午後から、宅急便で送付。


支援決起集会(東京会場)参加

2012-02-28 23:04:09 | 障害者問題

ごく久しぶりに福祉運動的な集会に参加した。東京都千代田区永田町、社会文化会館。
このような聴覚障害者と手話通訳制度に関する集会に参加するのは、20年ぶりになる。
高松市で手話通訳の派遣を申請したろうの母親が、市から派遣拒否にあい、
不服申し立ても却下され、本日高松地裁に提訴した。
これに併せて、高松市と東京で同時に支援決起集会が開催された。
35人の弁護団が結成され、「第2の人間裁判」との位置づけで取り組まれる。
手話通訳者や要約筆記者の派遣は、まだ権利として確立していない。
派遣するかどうかは、行政が決めるという仕組みになっている。
ろう者は、いつでも、どこでも、どんな内容でも派遣される通訳保障を求めている。

今回、手話通訳派遣を公的に保障しなかった理由は、通訳の場所が市外であること。
もう一つは、専門学校が開催するオープンキャンパスでの説明会は、
派遣要綱に定める派遣対象事由に該当しないため、としている。

昨年8月、手話が、言語として、法的に日本で初めて認められた。これによって、
コミュニケーション、情報保障は善意での対応に任せておくことはできなくなった。
ろう者が傍にいるとき、ろう者に伝わる方法で情報を提供し、
コミュニケーションを成り立たせることが法的にも求められる。

なかなか人は、自分の問題として捉えられない事柄が多い。
私は、たまたま手話に関わっていたので関心があるが、その他の問題については、
必ずしも、知ろうとする努力をしていない。
しかし、気づいた人から発言して行かなくてはならないと思う。
特に、手話に関わった自分は、聴覚障害者の置かれた状況が、
基本的人権を保障されていないことに気がついている。

このような大きな問題だけでなく、身近にいるろう者が、
コミュニケーションの輪の中から除外されることには、
注意深く異議申し立てをしなくてはならないと考える。

手話を学んだ者の責任だと思う。

そういう意味でも、「古河手話を学ぶ会」という名称を変えたことは、遺憾であった。

<本日の歩行5.7㎞+4.3㎞=10.0㎞>~99日目
①自宅~日赤病院~向堀川左岸~静御前之像~トモエ乳業前~4号国道~自宅
5.7㎞(9:35~10:50)
※午後から出かけるので、少しでも歩いておこうと静の像方面に歩き出す。3番まで聴く。
②自宅~十間道路みわ整形往復4.3㎞(21:48~22:30)
※日中の不足分を歩く


ウオーキング指導員

2012-02-27 23:54:28 | ウォーキング

ウオーキング指導員の資格は、1日の講習会への参加と、指定大会に参加し、
実地講習を受けることで取得できる。
その他の、資格要件としては、日本ウオーキング協会の維持会員登録が必要である。
現在は、ウォーキングクラブを通しての、維持会員登録が可能である。
ところが、先のJWA総会で、「JWAへの個人維持会員登録を要件とする」
ことが決議されたそうだ。
ついで、6月に東京で開催される総会で最終的に決定されるとのこと。

これによると、JWAに直接登録し、地元のクラブにはいるかどうかは任意となる。
当会の場合で言えば、JWAに登録し、会費が5,000円、当会の相互会員として、
2,500円、計7,500円となる。
指導員の負担増となる決定であるが、果たしてこの決定を是とする会員が、
どのくらいいるだろうか。
また、当会では、講習会等受講費用補助制度がある。
その上で、JWAのみ登録というのは腑に落ちない面がある。
運用がフラフラして、変転してきたこともあり、指導員辞退、
あるいは地元の会員登録辞退ということも考えられる。

過去に、JWA単独での維持会員登録を無くし、
地元の会に入会させてきた経緯を考えると、もう少し整理しないと納得しがたい。

<本日の歩行1.8㎞+8.3㎞=10.1㎞>~98日目
①自宅~林整形外科往復1.8㎞(15:10~15:35)

②自宅~十間道路山崎パン角信号往復8.3㎞(21:57~23:12)


ウォーキングライフ

2012-02-26 23:11:40 | 言葉

当会の機関紙は毎月1回、25日前後に発行している。会員が112名、96世帯に加え、
他協会の代表者宛に3部送っている。他にPR用に12部予備として作成している。
配布方法は、手渡しを基本とし、5人の幹事が担当する会員に配っている。
手渡しが困難な会員には、FAX、HPからのダウンロードで対応してもらっているが、
必要に応じ、郵送で送る場合もある。

機関紙の内容は、事務局が把握した情報を掲載している。
時に、他の役員や会長からの情報を加えて作成しているが、編集会議は設けていない。
編集会議を開催し、内容の検討をして作成したいが、安易な作成方法をとっている。
今回の通信は、2ヶ所訂正があり、配布担当役員にメールで訂正を依頼した。
印刷前の読み合わせも必要だ。
二つ目の訂正は、会議場所の変更で、事務局には通知が届かなかったので、
何らかの対策が必要だ。
しかし、編集会議を開催するとなると、時間、場所、それなりの準備が必要なので、
辛いところだ。

昨年の9月号から、投稿欄を設けている。以前散発的に役員が書いていたが、
しばらく掲載していなかった。
今回は、一般会員に投稿を依頼し、例会での写真とともに掲載している。
該当月の機関紙は、カラーコピーして投稿者にプレゼントしている。

会員のウォーキングライフに役立つ機関紙を発行するのが私の役割だ。

JWAの機関紙のタイトル「ウオーキングライフ」は、そのような意味だったのかと、
今にして腑に落ちた。
あたっているかどうかわからないが…

<本日の歩行㎞>~97日目
花桃下見ウォーク~20㎞(9:30~15:03)
※遊水地コース20㎞を歩く


水温む頃

2012-02-25 23:27:57 | 言葉

昨日の歩きから

すっかり春の気配が漂っている。ロウバイが終わる頃には沈丁花の蕾が膨らみ始める。
午前中、10㎞は歩けないので、半分くらい歩こうと土手に向かった。
雀神社の境内から、土手に上がる。階段を上ったところに、まくらがの碑が建っている。

日光連山は霞んで見えない。スーパー堤防で咲いている花は、オオイヌノフグリ。
かわいらしい花だ。

土手を下り、西町の住宅地の十字路には、ホトケノザが咲き始めていた。

ホトケノザの葉の間をテントウムシが動き回っていた。ちょこまかとせわしない。

塀の上に顔を出していたのはマンサクの花。チリチリとして優しげな花だ。失礼して1枚。



白壁の家は、ここともう1ヶ所くらいしかない。

天満宮には、学問の神様へのお願いの絵馬が奉納されていた。

社の前には一対の狛犬が立っていた。台座には梅の模様が彫られている。飛び梅だろう。

狭い境内を出て振り返る。



約1時間、春うららかな散歩だった。

<本日の歩行10㎞>~96日目
自宅~十軒道路5㎞地点往復10㎞(16:45~18:21)


老いし管理人の悩み

2012-02-24 23:37:33 | 障害者問題

先に、聴覚障害者は“情報障害者”であると書いた。手話通訳や要約筆記を利用すれば、
情報を得、コミュニケーションを成り立たせることができる。しかし、すべての生活場面に、
それらを配置することはできない。必要な場面に配置することができるに過ぎない。
その必要な場面とは、「公的機関が認めた場面」でしかない場合がある。
高松市では、通訳の派遣を拒否され、裁判に訴える動きが出ている。
今朝、全日本ろうあ連盟に問い合わせたところ、参加可能であった。

要約筆記は、そのものずばり“要約”だが、手話通訳の場合も100%の翻訳ではない。
通訳が聞いた言葉を、手話に置き換えて通訳するとき、何らかの要約がなされる。
外国語の場合も、完全な翻訳、通訳はないだろう。何らかの置き換え、要約がなされる。
手話通訳の場合、技術的に追いつかないと、伝えられる情報量は、半減する。
自分の技術を自覚していると、非常に悩ましい。
私の場合、無いよりましと、半ば居直って通訳をしているのが現状だ。
この、無いよりましという考え方は、情報保障という観点から、
通訳派遣が制度化された現在、了解は得られないようだ。
安易に資格を持たないボランティアが対応してはいけない、という声を聞く。
高松の例のような問題があるとしても、別次元の問題なのだ。

要約筆記の場合は、最初から“要約”だ。
手書きだと、話された言葉の1/5~1/6しか書けないから、
要約しないと追いつかない。
要約筆記の3原則は、早く、正しく、わかりやすくである。

要約の段階で、技術的に未熟な場合は、伝達率が低くなる。個人差がでる訳である。
書かれた文字があまりに違うと、読みにくいし、速度、要約技術の均質化も必要だ。
筆記場面では、通常3人のチームプレーで行なう。
要約筆記集団が、ほぼ同じ技術を持ち、連携をとって作業しなければならない。

手話の場合も15分前後で交代するが、要約筆記もほぼ同じサイクルで交代する。
私は手話の現役?ではないので、昔取った古びた杵柄で通訳をしている。
全部表現しようとして、追いつかないこともあるし、適切な表現ができないこともある。
結果、正確に伝わらないことが多い。読み取りはさらに難しい。

手話にしても、要約筆記にしても、情報保障と言うことを考えた場合、
片手間には取り組めない。
ボランティアと通訳者、要約筆記者は峻別される方向で進んでいる。

昔、八代英太元議員や宮尾登美子さん、寿岳章子さんの講演会通訳をしたことがあるが、
資格も何もないときにしていた。今考えると恐ろしいくらいだ。
八代議員の時は、一人で1時間半くらいやって、終わると目が回った。
今では考えられない。

今から手話サークルに通うのはしんどい。古河悠歩の会に在籍するろう者に対しては、
自分の手話で伝達していくしかないと腹をくくっている、というより、居直っている。

<本日の歩行4.7㎞+5.4㎞=10.1㎞>~95日目
自宅~古河駅~雀神社~古河駅~自宅4.7㎞(10:21~11:53)
※春らしい気候になった。沈丁花のつぼみが膨らみだした。
自宅~新幹線高架往復5.4㎞(22:30~23:22)
※日中の不足分。弱い霧雨が降ってきた。


送電線が消える3

2012-02-23 21:07:57 | 地図

毎日の歩きのコースに“ほどほど”往復が多くなった。ほぼ一直線に歩いて4.9㎞。
毎日の歩くノルマ10㎞をこなし、休憩するにはちょうど良い距離にある。
コーヒー豆を買う“からきや”は少し先だが、一筆書きで歩いて帰ることができる。
そろそろ暖かくなってきたので、今日などはずいぶん汗をかいた。
まだ頭部に汗をかく程度だが、間もなく全身が濡れるようになるだろう。
汗で体を冷やさないよう、風邪対策も考えないといけない。

“ほどほど”からの帰り、西から南、東の方向に送電線が目立っていた。
下の写真は、南の方角を見たところ。



西の方角は下の画像。



これが地形図だと下のように表される。

上の地形図だとはっきり見えないが、地図記号は下記の通り。
実際の25,000分の1地形図では、はっきりと確認できる。

この送電線は、いたるところに張りめぐらされているので、
現在地を確認するときにたいへん役にたつ。正確な位置確認は、
コンパスと地形図でするのだが、一目で確認できるので、至極便利だ。

この送電線が、地形図から次第に姿を消すことになった。
国土地理院の「電子国土基本図」から送電線が消えたが、紙媒体の地形図は、
今後発行されるものからとなるので、当分の間表示されたものが販売される。

先日、地図センターから地形図を購入した際、アンケートを求められたので、
意見欄に、送電線記号を復活してほしいと書き送った。
果たしてどうなるだろうか。

<本日の歩行10㎞>~94日目
自宅~ほどほど~ジャパンミート~自宅10㎞(14:00~16:25)
※ほどほどまでのコースはほぼ固まった。途中に1ヶ所トイレもあり4.9㎞。
帰りは、十軒道路まで出て、駅に向かうと自宅まで5.1㎞。
同じ道を戻ると、9.8㎞。買い物がてら、十軒道路を回るコースが良さそうだ。


ドロジン

2012-02-22 22:41:41 | アマチュア無線

鬼ごっこの一種である。泥棒を巡査が追いかける遊び。
「泥巡」が「ドロジン」となったのかもしれないが、
“どろじゅん”と言っていた時期があるのかどうかは疑わしい。
ネットで調べたところ、他に“泥団子をぶつけ合う遊び”というものがあったそうだ。
(栃木県在住の方のブログから)
この場合、泥団子+陣地→泥陣→どろじんとなったのかもしれない。

さて、本題は赤川次郎の本である。
シリーズ第1作が、1981年9月に刊行された「盗みは人のためならず」。
古本で1円+送料250円で購入。
主人公は、泥棒の夫と、妻は警視庁捜査一課の刑事。シリーズは10冊を超える。
軽い読み物で、2人は爽やかなコンビである。爪の先ほどのお色気もあり、
電車などで読むには良いかもしれない。しかし、設定がちょっとあり得ない。

読む前には、互いの仕事を知らない設定かと思った。
互いに仕事を知っていたら、2冊目は読まないとも書いた。
少なくとも、妻は夫の仕事を知らず、夫は、特殊な事情で泥棒をしているが、
説得力のある設定になっていると思った。しかし、ただの泥棒。
第1作では、本格的な盗みはせず、刑事である妻の手助けをしている。
全巻通して盗みはしないかもしれないが、盗みをしないという設定ではなさそうだ。

荒唐無稽な設定は嫌いではない。「必殺仕事人」や「仕掛け人藤枝梅庵」も好きだ。
彼らは、裏の仕事なので、見つかれば捕まり、処罰される。本人たちも自覚している。
正義というか、法は生きている。法で裁けない悪を斬ると言う設定はあり得ると思う。

しかし、この妻は、夫の仕事を認めている。「捕まらないで!」とも言う。
刑事が泥棒の夫を認めるという設定は、無理というよりあり得ない。
刑事をしている妻が、自分の立場に疑問を持たないのでは説得力がない。

このシリーズの本は、もう読まないだろう。西村京太郎、森村誠一の場合と同じで、
たくさん読んだ後で、時間の無駄だったと思いそうだから。

悪には悪の事情があり、説得力のある設定であれば、納得して読めるのに。

もう読まないと言えば、宮部みゆきも読まなくなった。
「蒲生邸事件」や、「クロスファイア」などは面白かった。
「クロスファイア」は、特殊な能力を持った主人公が、「生かしておけない」と思うと、
相手の体が炎上する。
しかし、「模倣犯」を読んで、主人公らしき男が、
友人(?)をいたぶって破滅させる設定は気持ちが悪く、不愉快だった。
こういうものを書く人の本は2度と読みたくないと思った。

<本日の歩行10.9㎞>~93日目
自宅~からきや~ほどほど~ジャパンミート自宅10.9㎞(15:23~17:53)
※コーヒー豆を買い、コーヒーを飲み、ボンゴレビアンコの材料を買う。
残りご飯を先に片付けることになったので、アサリは明日まで延命することになった。
自分の手で命を絶って食べるのは、アサリ、シジミくらいだろうか。肉、魚は、
すでに食材となっている。自分には、生きた鳥や魚を捌くことはできない。
貝を熱湯に入れるとき、少し心が痛む。
小学6年の時、鮒の解剖をしたが、嫌だった。それ以来、魚が怖くなった。
貝はあんな形だからできるが、生きた魚を熱湯には入れられないだろう。
食べないと死ぬという状況になれば、わからないが。

こんな思いはしない方が楽なんだけど。仕方がない…


社会の発展はデコボコ道を行きつ戻りつ

2012-02-21 23:37:18 | 言葉

会員のTさんからファックスが届いた。今月号の通信に掲載する“投稿”の原稿だ。
Tさんはろう者で、文書等のやり取りはメールかファックスで行なう。
30年以上前、私がろう者とつきあい始めた頃、ファックスはなかった。
用事があると出かけていって、手話や筆談で話すしかなかった。突然行くので、
不在のときも多く、メモを置いて帰ることも度々だった。
その内、ミニファックスという、A5の用紙が送れる安価なファックスが販売された。
古河市では聴覚障害者への給付事業として、希望するろう者の家庭に設置した。
これでずいぶんと便利になった。在不在を問い合わせたり、
用件を書き送ることができるようになり、コミュニケーション環境はかなり改善した。
しかし、コミュニケーションの醍醐味である、情報の即時的なやり取りは、
やはり手話である。筆談や要約筆記は、即時性に少し劣る。また、要約であることで、
伝達内容の量と質に技術差が出る。
手話の場合も、技術差は大きいが、スピードはある程度確保される。

手話にしても要約筆記にしても、通訳者、要約筆記者の絶対数が少ない。
また、古河市ではどちらも利用者が少ない。派遣制度が使いずらいものなのか、
利用者の側に遠慮や理解不足があるのか。
以前から、聴覚障害者協会やろう者個人に対し、手話通訳の利用を勧めてきたが、
なかなか利用してくれない。本当に困ったときしか通訳を依頼されなかった。
もう少し早い段階で通訳依頼があれば、良かったのにと思われることもあった。

ろう者に限らず、障害を持った人は、それぞれに、特別な状況におかれるので、
障害のない人と同じルールでは生きられないことが多い。
見えない故の、聞こえない故の対応がある。見えなくても、聞こえなくても、
何ら変わることなく生きられれば(ユニバーサル社会、ノーマライゼーションの実現)、
もっと自然に振る舞え、社会にとけ込めるのにと思うことが多い。

科学技術の進歩で、改善される分野も多い。
しかし、生きやすさは、人との関わりで得られる部分が多いので、
社会の進歩が、即、生きやすさにつながらないことも多い。
何次かの手話ブームが訪れても、必要な情報を得ることが難しい状況は、
それほど改善されていない。

やはり、不足があれば要求し、改善を求め、ボランティアとけんかをしながら、
少しずつ、個別性のある、自分(障害者)の生きやすい社会を、
求めていくしかないのだろう。

そう言えば、ろうのTさんが、例会の帰りの電車の中で話してくれた。
彼は、将棋が得意だが、ある時対戦者に注意されたそうだ。
彼は、いつも駒を盤面に強く打つ付けるので、盤が動くほど大きな音をさせていた。
自分では、当たり前の指し方だと思っていたそうだ。
たぶん、長い期間相手に我慢させていたのだろう。
そのようなマナー違反があったときは、きちんと指摘してほしいと言っていた。
聞こえる人は、ちょっとした会話や、やり取りの中でマナーを知る。
聞こえない人は、ちょっとしたことは伝えられないことが多い。何気ない会話や、
ちょっとした有益な情報といったものが、ろう者には届かない。

そのことに、多くの聞こえる人は、気がつかない。
気がつかずに、マナー違反だけを指摘する。

昨日書いた、通訳がスタンバイしないうちに、
音声のみによる伝達が始められてしまうということは、そういうことだ。

<本日の歩行10.1㎞>~92日目
自宅~シルバーセンター~総合公園~米銀~駅~自宅10.1㎞(13:50~16:10)
※シルバーセンターに植木剪定支払い。総合公園で花桃観察~蕾はまだ固い。


茨木じゃなくて茨城

2012-02-20 23:06:19 | アマチュア無線

昨日の例会の歩きで、膝に違和感が少し残ったが、キャラバンシューズを履いて歩く。
しばらく履いていなかったのと、靴自体が固い造りなので、親指の先端が少し痛んだ
昨日履こうと思って靴箱から出したが、上り下りが少なく、低山なので履かなかった。
今日は、今後に向けて試し履きのつもりで歩いてみた。
普通のウォークには、キャラバンは向かないと改めて思った。

昨日、出先で花桃ウォークの参加費を預かったので、歩き旁々体育館に持っていった。
途中、コンビニで「茨城県謎解き散歩」という本を買った。茨城県にまつわる、歴史、
文化などの雑学集である。
古河に関わるのは、「古河公方館跡は足利公方の夢の跡」1編のみであった。
最近の話題に即して選ぶと、「長塚節も食べたか、すみつかれ」がある。
わが家では、「すみつかり」と言うと、以前書いたが、長塚節の日記には、
「すみつかり」という名称が出てくるそうだ。
「人はいつの日か幼少時の食事に帰ると言うけれど…」と書いてあるが、どうだろうか?
私は子どもの頃、とても食べられなかった。大人になって次第に好きになった。
この稿を書いたのは、福岡県出身者なので、筑西市付近の誰かに聞いたのだろう。
作り方が紹介されており、酢を入れると書いてある。古河近辺では酢は入れない。

先に紹介したロングストアのご主人が試してみたところ、
家族は、酢を入れたものも食べやすい、と言っていたそうだ。
「しもつかれ」は、下野の国に由来しているようだし、「すみつかれ」の「す」は、
「酢」という説もあるそうだ。

しかし、これだけ県外の人や若い人に嫌がられながらも、
絶大な愛着を持たれる食べ物は珍しいと思う。
ゲテモノの類は、ごく一部の人に好まれるが、私の大好きな「すみつかり」は、
「ゲテモノ」に分類されたくはない。

<本日の歩行9㎞+1.9㎞=10.9㎞>~91日目
①自宅~カムイ~ナビスコ~自宅9㎞(16:30~18:30)
※カムイでリュック、トレーニングウエアを見る。買わず。
②自宅~ファミマ往復1.9㎞(22:28~22:58)
※不足分を歩く。