悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

指宿は今日も雨だった

2006-01-30 23:09:21 | Weblog
 とは言っても、この十年と比較すれば上々の好天に恵まれ、上り下りが多かったので少々汗もかいた。4年ぶり5回目の指宿、遠い割には遠征回数が一番多い大会だ。青森、大阪、広島、博多、宮崎の歩友にも久しぶりに会え、嬉しかった。 宿泊は、一泊朝食付きで2,730円と破格の安さを誇る「くり屋」。多くの歩友が推奨するだけあって、すばらしい旅館だった。来年も行きたい。
右上の写真は、大会のメインディッシュ「菜の花と開聞岳」


前夜祭の二次会

日本最南端に立つ

初日分の祝勝会

実話から仮想役員会へ

2006-01-26 18:52:28 | Weblog
 「七峰が近づいたね!」「東武健康ハイキングに行きません?」「つくばエクスプレスは何時集合?」「指宿楽しんできて(^o^)」などなど、ウォーキング絡みの話題が行き交う仲間たち。悠歩の会も少しずつこのような話題が出始めています。地図、リュック、水分補給から「指導員の資格、けっこうハードル高いんだよなー」などの愚痴(諫言)も。

 いっそのこと「指導員は自前で養成しようか」ということにも。ウォーキングのイベントを継続してやっていくために必要なノウハウは、衆知を集めれば何とかなる。会費もあることだし、専門家を呼んで講習会だって開ける。行政に医者がいて無料で講習会だって来てくれる。「出前講座」を利用すれば、消防署から保健所、行政、医師会、体育協会、あらゆるところで知見を提供してくれる。「悠歩の会のウォーキング指導員です」で押していこうかと、つらつら考えている、ウォーキングが好きな「日本ウオーキング協会」の正会員ではない管理人でした。

末期のラーメン

2006-01-25 20:19:15 | Weblog
 私は高いところが苦手で、バンジージャンプなどは一億円もらっても断る。娘は、お金を出してもやってみたいというから、親の心子知らずではないか。

 この娘が3歳の頃、遊園地で、直径1メートル位の円盤の上に乗り、15~20メートル上昇するという遊具があった。回転するわけではなく、ゆっくりと上昇、下降するだけのもので、柵があり落ちないようにはなっていた。娘は喜々としていたようだが、私は怖くて、怖くて、死にそうだった。娘にすがりつくわけにもいかず、ただ早く降ろしてくれと念じ、心臓が破れそうになるのに耐えていた。

 言い訳になるが、東京タワーで階段を登っても、高山で岩の上から千尋の谷を覗いても何ともない。足下がしっかりしていればなんと言うことはない。

 あさって、久しぶりに飛行機に乗るが、これが怖い。飛行機の座席で悪い結末を考えると、心臓が、ぐわっぐわっと騒ぐ。そこで、今日は馴染みのラーメン屋に行った。15年位前からよく食べに言っている店で、一時は毎週のように行ったことがある。しかし店の親父がサービスで出すネギ(ラー油、唐辛子、6㎝くらいに細く切ったネギ、その他を混ぜたもの…秘伝らしい)を得意げに新規の客に勧めるのを聞くのが煩わしく、また、たばこを吸う客が多いので、最近は月に1回位になっている。この店は、常連も多いが新規の客もいて、常に2~3組は親父の餌食になっている。私はもちろん何も言われない。

 明日はこの店が定休日だし、明後日は朝も早いので、取り敢えず、末期のラーメン、となったわけである。

生きるの死ぬの

2006-01-24 21:47:57 | Weblog
 職場の旅行などで海・山どちらの方面が良い言われれば、海は選ばない。夏以外は反対しないでもない。それというのも泳げないからである。学生時代は、山が好きった。海で騒ぎを起こす若者の話や、湘南ボーイという現象に反感を抱いたりもしていた。今は車でいけるので、必ずしも当てはまらないが、昔は山で馬鹿騒ぎをする若者はいなかった。
 以前、20台後半の頃、家族と茨城の海に行った。阿字ヶ浦か大洗だったろうか。平泳ぎなら少しは前に進むので、足のつくところで砂浜に平行に遊んでいた。ふと気がつくと、家族が待つ砂浜との距離が遠くなっている。足もつかない。あわてて戻ろうとしたが、浜辺は一向に近づいてこない。しばらくやってみて気がついた。戻す波のあるところでは、ほとんど前進しないことに。もう、助けを求めたほうが良いだろうかと思ったが、「助けてくれ~」というのは恥ずかしい。後になって思えば、恥ずかしさを気にしていたということは、余裕があったのかとも思えるが、その時は大パニックで、死にそう、恥ずかしい、の思いが交錯していた。それでも、クロールのほうが前に進むかもしれないと気がつき、泳法を変えたところ少しずつ前進し始めた。砂浜に戻ったときは、ぐったりとして「死にそうだった」としか言えなかった。もちろん、あわてていた時の心の動きは言えるものではなかった。
 今も、「湘南」という言葉に軽薄さを感じてしまう「後遺症」があるが、鎌倉方面のウォーキングコースは大好きだ。今年の例会にも鎌倉アルプスから、湘南の海岸を歩くコースを提案している。

弁当と電話

2006-01-23 15:35:18 | Weblog
 私が小学校低学年の頃、家には電話がなかった。忘れ物が多かったので、弁当を忘れたときは困った。母が忘れるわけはないから、たまたま給食がない日であったのだろう。文房具や体育帽といったものは借りたり、先生にしかられて終わりとなるが、戦前や敗戦直後でもないので、昼食抜きというわけにもいかない。学校前の文房具屋で電話を借り、駄菓子屋をしていた隣の家に電話をし、母に伝えてもらうのだが、初電話に緊張し用件を伝えるのにあたふたしてしまった。やっとの思いで伝え、無事弁当を持ってきてもらったが、その時の緊張をいまだに引きずっているのか。あれから50年近く経っているのに、今でも電話は苦手だ。言い足りなかったり、肝心なことを言い忘れたりする。大事な用件の電話は、話すべき内容をメモしてからかけるようにしている。
 私もたまには長電話をするが、そういう時は、たまたま相手が長電話を得意とする人なのだろう。常時長電話をしている人がいるが、あれは一つの芸当であるような気がする。

雪とシクラメン

2006-01-21 15:50:22 | Weblog
江ノ島20海里に参加するため4時20分に起き、おにぎりを作ろうと思ったが、ふと思い返し、玄関から外に出てみた。地面を見ると濡れてはいない。踵を返して家に入ろうとしたが、視界の片隅に白いものが、尾を引いた。雪だ、決心は早かった。もう一眠りするためにぬくもりの残る布団へと急いだ。

今日参加するのをためらった理由の一つにシクラメンの水やりがあった。鉢から球根を取り出し、夏越をさせ、秋に一回り大きな鉢に植え替えた。このような夏越をした場合、花は3月過ぎと言われていたが、葉もびっしりと出、花芽も出ていたので、球根を避けた水やりに努めた。今日、昼間水をやろうと思っていたが、家人に頼むと球根の上からざぶざぶとかけられそうだった。…という心配をしていたのでした。

雪は今も降り続いている。

珈琲

2006-01-20 10:45:40 | Weblog
以前、大阪の珈琲販売店から煎りたての珈琲を送ってもらったことがあります。煎ってから2,3日で届くのでとてもおいしく、何度か送ってもらったのですが、送料込みとなると値段が張るので、最近は市内の焙煎販売店で購入しています。ここの珈琲は、直火で煎っているので、炭焼き風の仕上がりで、以前(20年位前)は好きではなかったのですが、今は飲みやすくなっており、柔らか仕上げのブレンドもあり、月に2回ほど買いに行きます。
写真は、愛用の(思い出の)ミル。

今朝、NHKの番組に鹿内タケシが出演していました。まもなく67歳になるそうですが、若々しく、常にギター道を追い求めている姿が、すばらしいと思いました。アナウンサーの問いかけに合わせギターでBGM風に弾く様は、ギターが体の一部となっているようです。
終了間際、「禁じられた遊び」をリクエストされ、弾き出した途端、胸が揺すぶられました。

明日の天気予報では雪の可能性があるとのこと。よほど天気が悪くなければ、「湘南江の島20海里W」に行こうと思っていますが、2番電車なのが辛い。

くせ

2006-01-17 20:29:02 | Weblog
これまで何度も自分を「地道に歩いていない」、「不真面目ウォーカー」と言ってきました。歩きを”くせ、習慣”にしないと継続は難しそうです。性格がぐうたらなため、理由を付けないと動けない。体重を減らす、ガソリン使用量を減らす、環境を守る(^_^;)、歩いていますと人に吹聴する、家を出る、貯金を減らさない…等々
今日も会計宅に文書を届ける。その途中で会計さんに会う。会う少し前に近所で蝋梅の咲いている庭を見、2月の例会を思い出していたそうです。ところが例会の日は、ボランティアの研修があり定例会に参加できない。コース図をもらって別の日に行こうと思いながら歩いていたら、私と会ったそうです。

会計さんと別れてから蝋梅の咲いているという方へ向かいました。4㍍くらいの蝋梅が3本あり、ほぼ満開でした。やはり枯れ葉が付いているのは絵として今ひとつでした。宝登山では、写真写りをよくするため、枯れ葉を取り除いていました。

次にA4のコピー用紙を買うためトステムビバへ。途中雷電神社脇を通る。いずれも携帯による写真です。

新掲示板

2006-01-16 22:36:35 | Weblog
削除、無視が基本的な対応とは聞いていましたが、不快指数がかなり高くなったため、精神衛生維持のためこのような仕儀となりました。パスワードは、以前何人かの方にお送りしましたが、「風の色~」の天声人語への掲載年です。
今後ともよろしくお願いいたします。

干瓢のみそ汁

2006-01-15 21:47:19 | Weblog
茨城、栃木は干瓢の主生産地です。身近な使い方としてはいなり寿司を縛ったり、結び昆布に使いますが、我が家では昔からみそ汁の具としても使っています。具は人参のささがき、油揚げ程度。干瓢は、できるだけ新しいものを塩でもみ、塩を流した後、水に10分くらい漬ける。これを3㎝幅に切り他の材料とともにじっくり煮る。これで幅2ミリくらいに厚みが増します。これが何ともおいしいんです。未体験の皆さまどうぞお試しアレ。

事務局からの帰り、正定寺を抜け、(正定寺…江戸時代初期、家康、秀忠、家光の三代に仕えた古河城主・土井利勝が開山した寺。現在の本堂は天保3年(1832)に11代城主・土井利位[どいとしつら] が再建したもの。境内には四代将軍家綱の母、お楽の方の供養塔があり、お楽の方が安産を祈願した岩舟地蔵が残る。中庭にある芭蕉塚には「春もやや景色調う月と梅」(非公開)と詠んだ文字が刻まれる。また梵鐘には林羅山の刻文があるなど、歴史的な見所も多い。土井家歴代の墓所でもある)ホテルサンスイの向かいにある白壁の屋敷脇を通る。会計宅に文書を届け、家付近の「小蓋の宮の大ケヤキ」を眺め帰宅。約6㎞の行程でした。