悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

庭の花三題

2013-06-30 19:28:29 | 植物

雨のあと、夕方だったが庭に咲く花を撮った(6/26)。翌日は植木の剪定で職人が入る。
ニッコウキスゲの脇には脚立が運び込まれている。今日は10輪ほど咲いている。
尾瀬にもしばらく行っていない。彼の地に身をおいてみたいと、切に思う。

玄関の前にはアガパンサス。この位置では、水仙、白卯木の後に咲く。
家ではこの手の色合いは珍しいので、貴重な存在だ。雨粒が瑞々しい。

最後は、ノウゼンカズラ。職場の玄関前に咲いていたのを、挿し木をして育てた。
花を付けるまで数年かかった。去年は、つぼみのままでほとんどが落ちた。
その後、ふたたびつぼみを付けそこそこに咲いた。今年は豊漁だ!


言葉から始まる

2013-06-29 21:03:49 | ウォーキング

県協会の機関紙(IWAニュース)に、つくば国際ウオーキング大会を報告する中で、
本大会の特徴的な傾向に触れて、会長が「歩きたガール」という言葉を使っていた。
関わっている大会への参加者を増やしたいという思いは、関係者に共通であろう。
私も、今大会が「行列ができるウォーキング大会」になればと、いつも考えている。
その目標は、「飯能新緑ツーデーマーチ」である。
もちろん、「古河まくらがの里・花桃ウオーク」も、何とかしたいと思っている。
「行列云々」はともかく、「飯能W」は、参加した人が仲間に勧めて広がった。
それくらい魅力的で、参加して心地よい大会だ。時期、ロケーションも良い。
私も、仲間に勧められた。口コミで参加者が増えているのは間違いがない。

昨日書いた、鷹見泉石の件についても、古河の著名人が、ウォーカーであったという、
新たな発見があったことで思いが広がり、伝えていきたいと思った。

今考えているのは、日記の中で、泉石が移動して(歩いて)いる様子を地図に落とし、
歩行距離だけではなく、どのような区域を闊歩していたのかを明らかにすることで、
時代の匂いが伝わってくるのではないか。

歴史と歩きを同時に伝えることで、時代が生の感覚で伝わっていきそうな気がする。
読む人が自分の足、体で、時代、人を捉える助けになるかもしれないと思っている。


江戸末期のウォーカー

2013-06-28 18:28:04 | ウォーキング

図書館で“相棒”(文庫版)を借りて読んでいる。13冊目になる。再放送も見ているので、
耽っている(昔風)…はまっている(今風)…私風には、わくわく、楽しく、読んでいる。

今回は<7上>を一冊借りて帰ろうとしたが、カウンター角にある、“鷹見泉石日記”
に目がいき、全8巻のうち1巻を借りた。
日記は読みにくいものだが、解説を読んでみると、泉石はかなりの歩行者であった。
今後詳しく調べてみたいが、江戸詰だった頃、源空寺(伊能忠敬の墓がある)から、
両国本屋、禅宗慶安寺などを訪れている。場所を確定しながら距離を測れば、
歩行距離もわかる。
この日記は、個人的な感想、意見などは書かれておらず、実務的な記述のみ。
面白みはないといえるが、彼の行動、世の中の動きを知る上では貴重な資料だ。

井上ひさしの「四千万歩の男」によると、中田宿で伊能忠敬に会っている。
架空の設定だろうが、若い頃からの泉石の幅広い交友関係、関心を考えると、
可能性があると思われる。

井上ひさしも、泉石日記を読んだのではないだろうか。そんな気がしてきた。

何か、わくわくするような気分になってきた。


不断草

2013-06-27 21:58:59 | 読書

山本周五郎の「日本婦道記」に「不断草」という短編がある。中でも好きな一編だ。
昨日に続いて「武士の一分」の後半を見る。最後の場面で、「不断草」を思い出した。
「不断草」では、故あって離縁された妻が、目の見えない義母が一人で暮らす家に、
身分を偽り、下女として入り世話を続ける。
義母には知られないように世話をするが、終盤、不断草のおひたしを食べながら、
離縁になった嫁であることに、とうに気がついていたというところで終わる。
「武士の一分」では、中間が飯炊き女として雇ったのが、離縁した妻であった。
飯を食い、「芋がらの煮物」を食べて、妻であることに気がつくという設定である。
映画は、藤沢周平の「盲目剣谺返し」が原作であるとのこと。
原作と映画でどの程度内容に違いがあるのかわからないが、ちょっと「ぱくり」かなと?
少なくとも、映画はその可能性が高いような気がする。
食事がきっかけとなり、盲目の登場人物が相手を知るという場面に、その気配を感じた。

近々、「不断草」、「盲目剣谺返し」を読み返してみたい。

なお、不断草はこの時期に収穫できる野菜らしい。


毒味役

2013-06-26 22:06:29 | 雑記

藤沢周平作品の映画化されたもの「武士の一分」を少し見た。
もちろんこれまでに、何度か見ている。主人公は毒味役。職業病?の結果、失明した。
毒味役という職業は、現代ではないだろう。
この非人間的な仕事は本当にあったのだろうか?
いかに、封建社会といえど、このような職を考えるとは、
誰かの命を最優先するという設定なしにはあり得ない仕事だ。
だから、現代ではあり得ない仕事だ。
しかし、上司のために命を投げ出す人が時にいることを考えると、
現代社会ではあり得ない存在の人のため、もしかしたら毒味役がいるかもしれない。
彼を毒殺するため20年~30年をかけて準備をすることはあり得る。
もし、実行する人がいても、毒味役の存在は表に出せないだろう。

現代の毒味役という設定の小説を書いてみるのも面白いかもしれない。


子午線1度

2013-06-25 21:12:38 | 

6月15日、九十九里町に行った。伊能忠敬の生地である。
忠敬は地球が丸いことを知り、赤道から北極への緯度1度の長さを知りたいと思った。
幕府は、当時外国船が襲来していることで、対抗上我が国の形を知る必要に迫られた。
つけいって、と言えば言葉が悪いが、忠敬の先生は幕府に日本国測量の願いを出した。
首尾良く認められ、忠敬は北上しながら緯度を測り、所期の目的は達成した。
最初は、江戸の住居付近で測ったが、測量地点の範囲が狭いため誤差が大きかった。
それで、日本列島を視野に入れ、偉大な一歩を踏み出したわけである。
しかし、測量を続け、国の形が描き出されるうちに、欲がでてきたのではないだろうか。
それはともかく、江戸時代にこれだけ遠大な計画を立てたということは、驚異だ。
婿入り先の家業を興隆させ、隠居後に測量、天文観測を学んだという。
学ぶことはいつでもできる。歳を理由に後ろを向くのは、控えようと、思うことしきりだ。

主に沿岸を測量したので、忠敬さんは、このあたりも歩いたかもしれない。


ファックスの送受信~その2

2013-06-24 19:23:09 | 雑記

私の家では、以前、電話回線がぜいたくにも2つあった。1つはFAX専用回線だった。
ろう者とのやりとりのため導入した。当時は手話ができるのが私だけだったので、
雇い主(古河市役所)に対し、費用負担を相談したが不可、個人導入となった。
手話奉仕員を辞めた頃に、利用休止して、今日までそのままになっている。

ファックスの利用はそれほど多くはないが、受信ファックスはそこそこにある。
ファックス機が普通紙ファックスというやつなので、インクリボンが高い。
インクリボン代は、たまに会に請求しているが、どうもスマートさに欠ける。
ファックスの受信をパソコンにすれば、必要なものだけをプリントすれば済む。
経費の節減につながるので、最近「PCファックス」について毎日のように調べている。
本日、光電話サービスの中に「追加番号」、「ダブルチャンネル」があるのを知った。
月額105円+420円=525円で、ファックス専用番号が持てる。

インターネットファクスの場合、送受信をパソコンでする場合、通常機能を使用して、
年間1万円くらいかかる。光の付加サービスだと6,300円で済む。
これなら、個人支出の範囲内で対応可能である。

この場合、ファックス機は自前、初期投資が数万円かかるが、快適な送受信ができる。
他人(ひと)からは、無駄使いと言われそうだが、ろう者とのファックスでのやりとり、
県協会関係のファックス受信のスムースさ、などを考えると、導入したほうが快適だ。


「花桃W」はどうなる

2013-06-23 21:20:17 | ウォーキング

花桃ウオークは、当時の市長小久保氏が市制施行50年を記念して始めたものである。
当会の設立が1999年なので、翌年、第1回が開催されたが、初回は10月だった。



会場は、総合公園だった。



間もなく、花桃をテーマにしようということで、年度内の3月に2回目を開催した。
小久保市長は、日本スリーデーマーチに参加し、そのすばらしさに感銘した。
それで、市制施行記念事業として「古河まくらがの里ウォーク」を実施した。
というのが、花桃ウオーク開催のきっかけであった。
当会設立の3ヶ月後「伊能ウォーク」が古河市に到着。小久保市長が挨拶をしている。
当会は、伊能ウォークとともにスタートし、まくらがの里ツーデーのスタートに関わった。

来年3月は、「第15回古河まくらがの里・花桃ウオーク」が開催される予定であるが、
今回の体育協会解散の余波を受け、継続されるのか、気がかりである。

 


嫌戦映画

2013-06-22 22:42:43 | 雑記

テレビで、映画「二十四の瞳」を見た。
小学生のとき、学校から市内の映画館に行き、授業の一環で見た覚えがある。
小説も1度ならず読んだことがあると思う。
戦後、生き残った教え子が、担任の大石先生を招き謝恩会を催した場面が印象的だった。
その席上、戦争で視覚を失った青年が、昔の写真を見てそれぞれの配置を指さす場面。
このハイライトが、記憶に残り、感動的な場面として忘れられない。
今回もやはり涙がでてしまった。
小学生低学年の子どもたちにも、当時の貧しい生活が色濃く影を落とし、身売り、出征、
進学を諦めて家族のために働きに出たりと、今では想像もつかない時代だった。

江戸時代は、人々が生き生きと暮らしていた時代だったといわれる。
士農工商の時代、悲惨な生活が国全体を覆っていたと思われるが、どうなのだろう。
江戸時代よりも、第二次世界大戦前後の時代は比較にならないくらい非人間的な生活を、
強いられた時代だったと思う。
江戸時代の無礼打ちは、ひどい仕組みだが、どの程度の頻度で行なわれたのか。
世界有数の自殺大国日本である。単純計算でいけば、江戸時代の社会的殺人と比較して、
自殺(自死)人口はむしろ多いかもしれない。

事実だけで、世の中の事象が判断されれば良いのにと、切に思う。


バベルの塔

2013-06-21 21:02:55 | 言葉

杉下右京は手話を使えた!
昨日、図書館に予約していた「相棒5下」を借りてきた。最初の一編のタイトルがこれ。
一気に読み、午後、同タイトルのビデオを借りてきて見た。なかなか良い作品だった。
「バベルの塔」とは、旧約聖書に書かれている伝説上の塔。
人類が傲慢になり、天にも届く塔を建てようとしたことに神が怒り、
それまで1つであった人間の言葉を通じなくさせた。そのために、工事を中止し、
関わった者たちは、地球上の各地に散ったという逸話からきている。
手話を含めたさまざまな言葉を使うもの同士が、伝えようとする意思の必要を描いた、
というのが今回のテーマだろうか?

今回の作品では、難聴の女児が一定の役割を果たす。何歳の頃かわからないが、
高熱のため聴覚をうしなったという設定。映像では、3歳以降のように見えた。
女児は手話で会話をする。声がおかしいと笑われるので、普段声を出さないという。
しかし、3歳以降であれば、音声言語を獲得しており、手話に頼るのは不自然だ。
普通学校に通っていれば、手話を獲得することはさらにまれになる。
また、聾学校の幼稚部あるいは、小学部に行っていれば、手話は使わないことが多い。
東京の聾学校では手話を教えないことが多い。教える学校もあるかも知れないが?
ただ、ここは家族の考え方にもよるので、手話を使う可能性もある。
地域の手話サークルにでも通わないと覚えられないことが多い。すべてではないが。

ドラマでは、1~2年前に聴覚を失ったらしい。母親も手話が上手という設定は不自然。
また、「右京は完璧な手話で」と書いてあったが、映像で見た限り、そこそこの手話。
これは無い物ねだりかもしれない。であれば「完璧な」という表現は避けた方が良い。

ところで、手話がどうドラマの中ではたらくのかというと、犯人に知られないうちに、
右京と関係者が手話で連絡をするというもの。声を出さず、離れた位置で伝える。
これはドラマでよく使われる設定であり、可能であるが、手話を知らない人には、
興味本位な印象を植え付ける恐れがあり、いかがなものかと思う。

今回は使われていないが、手話コーラスなどの取り組みも同レベルだ。

などなど、難癖を付けたが、好きなドラマだけに細かい点が気になった。