悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

セミナー参加

2006-07-31 18:39:23 | Weblog
 県主催の「中高年のスポーツと医・科学セミナー」に参加した。会場は、旧友部町で、最近笠間市となった「平」にある「茨城県教育研修センター」。笠間の共販センター街を抜け、山に入ったところに建っている。途中案内板が全くない。門にも、敷地内にも名称表示が全くない。おかしいと思い、担当者に事実を告げた。

 テーマは、中高年のスポーツを考えるに当たり、念頭に置くべき点に触れた内容で整形外科医による話。次に、文化省で旗を振っている、総合型スポーツクラブの実践者による報告。医師の話は、基本的な話であったが、スポーツクラブの代表は、地域に密着したスポーツの振興を、住民主体でやっていこうという熱意のある方で、好意を持てた。行政の応援は得つつも、受益者負担を徹底して、専門家による指導を得ることにこだわった運営は、悪くはないと思った。若干、流れに乗った方向性が気になったが、実践者の熱意は本物であろう。

 非常に不便な会場で、帰りが気になった。当日は、家族が会場の近くに行くので車に乗せてもらったが、帰りは自力である。炎天下近くの駅まで40~60分。覚悟していたら、参加者名簿に、水戸ウォーキングクラブの名があった。ご挨拶したところ、駅まで送ってくれることになった。「歩くつもりです」と言ったが、「遠慮しないで乗ってください」というお誘いに、手もなく崩れた。

 会場に行く前、笠間の豆腐工場で経営している、豆腐関連商品の販売と、軽食喫茶のような店で昼食をとった。食事は500円の日替定食だけであるが、すべて豆腐製品で、大変おいしかった。水戸に行く際には是非よってほしい店である。コーヒーや、各種豆腐製品、アイスクリームなど販売している。

ワガママ

2006-07-25 18:35:24 | Weblog
 ほほえみさんは、韓国一人旅。noppoさん、ワインさん、SHさんその他の方が100㎞や105㎞ウォーク参加。ふらのっちは、全国行脚取り敢えず完了。皆、悠々と闊歩しているのに、悠々は、関東のヘソの緒に縛られ(たつもりで)、地道な活動を続けております。うらやましい~~~
 いずれ、悠歩の会が大きく羽ばたいた折りには、自己負担にて世界一周4万㎞の旅に送り出してくれますでしょう。

烏瓜

2006-07-22 23:20:41 | Weblog
 「思い出掲示板」で騒いでいますが、やっと咲きました。娘などは、関心がないと言い、知らんぷりですが、母はけっこう騒いでいます。妹に電話をして、「見に来れば」と言ったり、「来年はもっと増やして、近所に配ろうか」などと言っています。
 中には、気味が悪いという人がいたり、意外と話題にならないことを顧みると、空騒ぎなのかもしれませんが、思いこんだら命がけという一面を持つ私ですので、明日こそはもっと良い写真を撮りたいと、思っています。
 ただ、親の敵くらいに嫌いな「蚊」には悩まされます。蚊取り線香を持ち、虫除けスプレーをして出るのですが、どこか刺されます。嫌っているのは相手にもわかるといいますので、明日は、「あんたもたいへんだね~」と念じながら、行ってみようかな。

紫蘇ジュース

2006-07-17 17:08:13 | Weblog
 7月に入って草取りをシルバーセンターに依頼した。私は、草取りと掃除が苦手なので、できるだけ知らん振りをし、逃げまわっている。始めるにあたり、烏瓜と紫式部は、草でない旨伝え、後は適当に判断して、とお願いした。以前、紫式部と、わざわざ採ってきて植えておいた「たらの木」を抜かれてしまった苦い経験がある。用足しから帰り、作業の結果を見ると、きれいになってさっぱりしていた。しかし、丁寧に青紫蘇が残されていた。それもいたるところに生えている。追っかけて取るほどではないし、群生しているほどでもない。雑草の取り残しという風情でもないし、薬味にもなると思い放っておいた。

 昨日、歩きの仲間が、野菜と一緒に青紫蘇を持ってきてくれた。家の庭に生えているのより、いかにも野菜らしい風体をしている。立派な青紫蘇を見て、さて、どうしようと考えた。私のレパートリーでは、紫蘇は薬味とてんぷらくらいである。そこで調べた結果、紫蘇の生ふりかけ、紫蘇巻き豚肉のフライ、千切り紫蘇をまぶしたおにぎり、紫蘇ジュースなどがあった。庭の紫蘇も活用するとなると、紫蘇ジュースが良さそうだ。

 紫蘇を120gくらい、約2ℓの水でゆでる。葉を取り出し、蜂蜜と酢を加え、例の珈琲の濾紙を使い細かな葉を除く。これを冷まして冷蔵庫に入れる。

 取り出した葉は、砂糖としょうゆを加え、鍋で煮詰めて紫蘇の佃煮とした。初めてにしては上々の出来であった。ジュースは、蜂蜜を使うと上品な甘さになった。

 難を言えば、ジュースは、紫蘇を150g使い、酢をもう少し多めに入れたほうが良かった。後で佃煮にする場合は、茎を丁寧に取り除いてからゆでたほうが良い。この部分、大雑把にやったので、佃煮の作業に入る前に、取り除くのが面倒だった。

穴あき靴下

2006-07-14 18:44:24 | Weblog
 歩いていて恐ろしいのは、足裏部分に穴のあいた靴下だ。ごく薄くなっていた場合もあるし、穴があいているのを気がつかずはいたこともあった。これが長距離歩行の場合は悲惨だ。2004年10月に、「つくばりんりんロード40㌔」で、一日中雨の中を歩き、拇指球部に大きな肉刺を作った。以後、点検してからはくようにしている。

 歩きでなくても、穴のあいた靴下はまずい。座敷に上がる時には恥ずかしい。1度失敗したことがある。昭和30年代くらいまでは許されたような気もするし、穴かがりをしてはいていたような気がする。最近では、去年2回ほど下手な穴かがりをしてはいたことがある。部分的な損傷で廃棄するのはもったいない。補修してはくようにしたいと思う。

 

ささやかな幸せ

2006-07-13 17:35:46 | Weblog
 昔、渥美清の主演で、「泣いてたまるか」というテレビドラマがあった。私が高1の春から2年間の放映であった。寅さんシリーズは好みでないが、この番組は好きだった。いずれの回だったか、好意を持った女性は、石鹸工場に勤めている。彼は、トラックの運転手だったか、会うと、彼女からは石鹸の香りがした。このくらいしか覚えていないが、女性の清楚な雰囲気とともにこの番組で唯一覚えている情景だ。昭和40年代初頭、まもなく70年安保を迎えようという時期、時代を映していたと思う。

 石鹸といえば、小さくなった石鹸を、皆さんはどう扱っているだろう。うちでは、以前、タオルなどに包み込み、使い切っていた。ある時、別の家では、新しい石鹸に接着して(?)使うということを聞いた。私はそれから薄くなった石鹸を、新しいものに擦り付け、使い切るようになった。これには多少コツがあり、薄いといってもある程度の形をとどめている状態で、新品に擦り付けることが必要だ。あまりに小さくなると、付き難くなるし、次に風呂に入る人が、丁寧に扱わないと、はがれてしまう。うまくくっ付くと嬉しくなる。ささやかな幸せだ。

さもありなん

2006-07-10 14:56:04 | Weblog
 山形県出身の井上ひさしは、「蝉しぐれ」を読み、舞台である海坂藩の城下図を描いたそうだ。藤沢周平の著作を読むと、町並みが丹念に書き込まれているので、読者がそこにいるような気分になると、よく言われている。確かに、私も市井ものなどを読んでいると、その時代を歩いているような気分に浸ることができ、うれしくなる。
 http://www.semishigure.jp/html/unasaka.html

 「蝉しぐれ」は、NHKドラマ時代劇シリーズで以前放送されたが、翌年映画化された。映画版は見ていない。今、原作を再々読している。

伊能隊、古河に!

2006-07-07 10:24:06 | Weblog
 七年前の今日、伊能隊が、栃木県小山市から、古河に入りました。

 茨城県には、第1ステージ(東京→札幌)の2月15日、千葉県銚子市から神栖町に入ったのが、第1歩でした。鹿島市、鉾田町、大洗町、水戸市、日立市、高萩市と通過し、2月25日に北茨城市から福島県いわき市に向かいました。

 第2ステージ(青森→長野)は、青森県、秋田県、山形県、福島県、栃木県と通過し、福島からは東北線(国道4号)に沿って歩いてきたので、野木町から古河市に入ります。

 翌日、古河市役所から群馬県の館林市役所までの20㎞が、古河の担当でした。たいへん暑い日になりました。館林市役所での出迎え式で、朝日新聞社から参加していた担当者が、幹線道路をはずしたコース取りが良く、これまでのコースで7本の指に入ると挨拶していたのが何よりの褒め言葉で嬉しかった。

 伊能忠敬が、奥州街道、蝦夷地を測量して実測図を作る仕事を始めたのが、1,800年、55歳の時であった。現在の私と同年である。