悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

大塩平八郎と鷹見泉石

2011-08-16 22:56:55 | 

江戸時代の末期、元町奉行与力であった大塩平八郎は、
民衆が大飢饉で困窮を極めていたにもかかわらず、
世情を放置する役人や豪商に業を煮やし、武装蜂起を企てた。

この時大阪城代であった土井利位が、鷹見泉石に乱の鎮圧にあらせている。
その後、利位は、京都所司代、老中と出世していった。

この事件を知ったとき、民衆のために蜂起した大塩の乱を制圧した鷹見泉石に対し、
良い印象を持たなかった。
その後、利位の雪の研究や、泉石の博学多才な面を知るにつけ、
両者を少しずつ見直すようになっていた。

昨日、叔母が父に線香を上げにきてくれた。その際の話。
先日ラジオで、古河のことを紹介していたという話になった。私も聞いていたので、
ラジオの話題から話が広がり、雪の殿様や歴史博物館など、話に花が咲いた。
そんなこともあって、叔母が帰った後、古河市・教育委員会発行の
『鷹見泉石ものがたり』を読んだ。

大塩の乱制圧に当たった時の様子が『鷹見泉石日記』に書かれているそうだ。
そこには、大塩捜査にあたっていた部下からの情報として、
「近在の民衆は、大塩に感謝している」ということを書き残していたそうだ。

ということは、役目として大塩の乱を制圧したが、
大塩が蜂起するに至った背景にも泉石の目は届いていたのではないかと、
書かれていた。

利位が将軍から褒美をもらった二日後、泉石は利位の菩提寺に報告に行き、
帰りに友人であった渡辺崋山を訪ね、そのおりに描いてもらったのが、
国宝「鷹見泉石像」であるとのこと。

天保8(1837)年3月27日が捕縛の日。
そのことを日記に書いたのが翌3月28日。
明日にでも、図書館で『鷹見泉石日記』を借りてきて読んでみようと思う。