年次総会が4月1日に開催されます。午前中、総会ウォークとして歩くのは、6月16日に開催されるアルコロジーの下見も兼ねています。
午後からの総会には、栃木県に住む聴覚障害のウォーカーが参加するので、手話通訳者を配置することにしました。
先ほど、予定している手話通訳者にお会いして、総会資料を渡してきました。最近、とんと思い出しもしなかった、貞広先生や伊藤雋祐さんなどの話もでて、20~30年前の記憶が甦ってきました。貞広先生には、1年近く教わり、塩原の視力障害センターに転勤になってから、センターで宿泊研修を開いたことなど、懐かしい思い出です。当時の仲間に、円菊さんもいて、手話落語を使った手話学習なども行ないました。
ふと、手話サークル活動から離れて20年近くなることに気が付きました。「10年くらいやっていない」と大雑把に言っていましたが、昭和の最後の頃に手話から離れたのでした。仕事柄、無関係ではありませんでしたが、直に手話サークルに関わったり、通訳活動からは縁遠い生活をしてきました。
去年の10月、高崎観音だるまマーチ以降、ウォーキングを通しての聴障者との関わりが復活しました。今回、その内のお二人が悠歩の会に入会したいということになり、昔習った手話が少し役立つことになったなぁと、感慨ひとしおです。
午後からの総会には、栃木県に住む聴覚障害のウォーカーが参加するので、手話通訳者を配置することにしました。
先ほど、予定している手話通訳者にお会いして、総会資料を渡してきました。最近、とんと思い出しもしなかった、貞広先生や伊藤雋祐さんなどの話もでて、20~30年前の記憶が甦ってきました。貞広先生には、1年近く教わり、塩原の視力障害センターに転勤になってから、センターで宿泊研修を開いたことなど、懐かしい思い出です。当時の仲間に、円菊さんもいて、手話落語を使った手話学習なども行ないました。
ふと、手話サークル活動から離れて20年近くなることに気が付きました。「10年くらいやっていない」と大雑把に言っていましたが、昭和の最後の頃に手話から離れたのでした。仕事柄、無関係ではありませんでしたが、直に手話サークルに関わったり、通訳活動からは縁遠い生活をしてきました。
去年の10月、高崎観音だるまマーチ以降、ウォーキングを通しての聴障者との関わりが復活しました。今回、その内のお二人が悠歩の会に入会したいということになり、昔習った手話が少し役立つことになったなぁと、感慨ひとしおです。