悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

ロウカイメン

2011-10-31 23:16:24 | 言葉

母の車いすを押して駅に向かう。歩道は交差点でなければ平らなので、
片手で押せる。交差点のみ、前輪上げをして進む。
力のない人は、ティッピングレバー(前輪昇降棒)に力を加えると簡単に上がる。
普通の体格の男だと、グリップに体重をかければ簡単に上がる。
<車いす各部名称>

片手で押して、背筋を伸ばし、颯爽と歩きながら、時速5㎞くらいは出せる。
頑張れば、6㎞以上出ると思うが、乗っている人が怖いと思うので、
6㎞は無理かもしれない。

歩道の状況さえ良ければ、母の散歩に付き合いながら歩行距離を稼いだり、
ヘルスロードの歩行距離を伸ばすことも可能だ。

これを若い男がやると、介護する男で、「カイメン」だが、
退職後だと介護休暇を取るわけではないので、ちょっとおこがましい。
そこで「老老介護」ならぬ「老カイメン」となるが、「老」はあんまりなので、
「ロウカイメン」はどうだろうか。

語呂もよろしくないので、「新語・流行語大賞」には入選でも無理だろう
推薦されることは(絶対に)ないだろう。(-_-)


アマチュア無線技士

2011-10-30 22:47:52 | 言葉

例会ではスタッフ間の連絡のため、トランシーバーを使っている。
トランシーバー導入のきっかけは、千葉県のウォーキングクラブの例会に参加したとき、
出発式で会長挨拶の時、参加者の間に散らばったスタッフの持つトランシーバーを、
拡声器代わりに使っているのを見てまねをしたことに始まる。
もちろん歩行中も、誘導に使用していた。

トランシーバーの種類は、「特定小電力」というタイプで、
アマチュア無線技士の資格がなくても使えるが、電波の強さが低レベルなので、
建物の陰に隠れると100mも飛ばず、音声も聞き取りづらい。
そのため、誘導で使用するときストレスを感じることが多くなった。

個人的に、以前から資格を取りたいと思っていたが、参考書を読んでも頭に入らず、
何度か投げ出していた。今回弟の助言もあり、講習会を受講することにした。
2日間受講し、修了試験に合格すれば国家資格が取得できる。
昨日、今日と2日間の講習会は終了した。修了試験の結果は一週間後。

一つ問題があった。アマチュア無線を行なうとき、コールサインを言うのが決まりだ。
さらに、資格を持っていないと、通信ができない。資格取得者1名は確認済み。

今月号の通信で資格取得者に呼びかけた。
果たして何人が、資格を持っていると名乗り出てくれるだろう。
もし、私を含めて二人しかいなければ、この二人の間でしか通信できない。
バイク仲間などでは、4級アマの資格を持ち、ツーリングに利用しているようだが、
当会の会員に資格取得を呼びかけるのは難しそうだ。

資格を持たないものが無線電波を発射することは、違法であるし、
他の電波利用者に迷惑をかける恐れもある。

1名資格者がいれば、彼の指導のもとに小規模での運用が認められないだろうか。
問題があった場合は、彼が責任をとるということで認められれば良いのだが…
当会のように、50~100人くらいの集団内での運用であるから、
不測の事態にもすぐに対応できる。
アマ無線従事者が年々減少しているそうだが、違法な電波の発射に注意をしながら、
もう少し運用上の自由度を持たせられないかと感じている。


利休七則~その7

2011-10-29 22:25:39 | 言葉

7.相客に心せよ
同席した客に気配りをしなさいというもので、これも当たり前のことである。

会の立場から見れば、主催した例会や大会への参加者に心配りをしようということであり、
参加した仲間同士が声をかけ合い、
和やかに楽しいひとときを過ごそうということである。

歩く会に集う仲間は、それぞれに生活の場、所属する組織、あるいは職場をもち、
歩くという一点で、互いに関わりを持っている。
会の仲間同士は、何度も顔を合わせるが、他会の例会、大きな大会などでは、年に1回、
会うかどうかということもある。
歩くという一点で結ばれた仲間は、歩く楽しさを共有し、情報交換をし、
再会を期して別れる。

まさに一期一会の出会いもあれば、一度の出会いをきっかけとして、
次はどこの大会で会おう、と長い付き合いになる仲間もいる。

健康のために歩く人もいれば、歩くことそのものを楽しむ人もいる。
互いの歩きのきっかけを尊重し、今現在の歩きを楽しもう。


利休七則~その6

2011-10-28 21:23:37 | ウォーキング

6.降らずとも傘の用意
客に対する気遣いとして、事前の配慮が大切であると説いている言葉だそうだ。
自分の心配のために、前もって用意をしておくという趣旨ではないとのこと。

ウォーキングに引き付けたとらえ方をすれば、どちらも大切である。
自分の心構えとして、事前の準備を怠りなくすることは大切だ。
余裕を持つことによって、安全なウォークにつながる。
スタッフの立場からこれを見ると、さまざまな状況を想定し、参加者の安全を図り、
楽しくウォーキングに参加するお膳立てを整えることにつながる。

スタッフは、常にレインウエアを所持することが望ましい。もし、雨が降った場合、
常に両手が使える状態で、まず、自らの転倒事故を未然に防ぐことを心がける。
傘を持っていると、いざというときに、対応が遅れる。
傘が邪魔になる状況を作らないために、両手を空けておいた方がよい。

救急用品の用意。
熱中症対策として、電解質の補給に役立つ「経口補水液」の準備。
安全なウォークのための正確な下見。
コース誘導の徹底。
トップ、アンカー、その他のスタッフ間の連絡をきちんと行ない、
リーダーへの情報の集約を徹底する、などなど。

これらは、いずれも事前の配慮、事故などを起こさないための気遣いにつながる。


利休七則~その5

2011-10-27 21:48:28 | ウォーキング

5.刻限は早めに
これも当たり前のことをベースにしているが、ゆとりということだろう。
焦りを避け、常に平常心でいることの大切さを述べているのだと思う。

ウォーキングにおいても、例会を安全に進行させるためには、ゆとりが必要だ。
ゆとりをもつためには、事前の準備が欠かせない。事前に十分検討されていれば、
不測の事態にも対応がしやすい。予定は時として変更を迫られるので、
ゆとりを折り込んだコース取りが大切だ。

例会の進行に対するゆとりの効用は、安全への保証書のようなものだ。
それは、スタッフ間に安心をもたらし、精神的な余裕がもてるので、
参加者に対して丁寧な対応をする基礎になる。余裕のない運営は、
余裕のない態度を生み、鷹揚な対応が難しくなる。

余裕を持って組み立てた計画でも、予定通りに進行できない事態が発生することがある。
参加者が予定の時間に集合しない、体調不良者が出て、休憩時間を余分に取ったり、
ペースを落とすこともある。
場合によっては、スタッフを2分し体調不良者などに対応させ、全体の進行は、
既定の流れに戻すことも考えられる。

ただ、大切なのは、不慣れな会員や一般参加者には、
タイムスケジュールに無理に合わせようとしないこと。
既定のタイムスケジュールに近づける対応をしても、
参加者には気づかれないようにするべきだ。スタッフの焦りは参加者に伝わり、
無理を強いてしまうことがある。このことは避けなければならない。


利休七則~その4

2011-10-26 23:45:07 | ウォーキング

4.夏は涼しく冬暖かに
このまま読めば当たり前のことだが、茶席におけるもてなしの心を現したものだそうだ。
茶席において、花を生けたり、道具を揃えたり、もてなす仕方を工夫することで、
受ける側との間に緊張関係が生じ、もてなしをともに楽しむことにつながる。

ウォーキングにおけるもてなしも、良く例に挙げられる。
「飯能新緑ツーデー」の全市をあげてのもてなしは広く知られている。
市長もかなり熱心なようだが、市民、企業、行政、商店がこれに呼応し、
心地よい大会となっている。これが市主催だから驚く。

当会の例会も、会員、一般の参加者がともに楽しめるような取り組みがしたい。
安全なコース取り、ゆとりのある例、大会の運営をする。
コースを十分に吟味し、歩くなかでコースを楽しみ、
いつも何か発見があるようなコースづくりができれば最高だ。

そのためには、指導員を中心に、工夫をこらして例会を組み立てることが必要だ。
工夫の1つとして、目新しいコースや珍しさに頼ったコースづくりだけではなく、
市内コースを使って、いかに楽しめるコースを作れるか、挑戦してみるのが良いと思う。

市内を歩いていると、初めて通る小道や、煉瓦造りの建物がある。古河城郭の跡や、
今でも残っているだろうか、市内の「水塚」などを見つけるのも興味深い。
市内コースは歴史遺産には事欠かない。渡良瀬川関連でも、多くの事跡があるし、
隣の県野木町の煉瓦場、県境を利したコース取りなども興味深い。

探す気持ちがなければ、発見はない。
もてなしの心が、新たな発見、工夫を生むのではないだろうか。


利休七則~その3

2011-10-25 22:49:16 | ウォーキング

3.花は野にあるように
意味は、「ものの表現は、本質を知り、より簡潔に」ということだそうだ。
茶花は、部屋の大きさにもよるが、1~2輪がふさわしいようだ。
また、花を飾って自然らしさを表現するということではないようだ。
自然を感じられるように生けるという、ある意味で作為をもって生けること。
そこに、茶を通した世界観が現れる。

歩くことは、生活そのものだった。時代とともに歩かなくなり、時代病ともいえる、
生活習慣病の予防、あるいは改善のために歩こう、と言われるようになってきた。

人間は、歩くことが生きることそのものであった時代とは、一線を画している。
だからこそ、歩くことは、人間らしさを取り戻す試みの一つとなってしまった。

規則に縛られた種々のスポーツは、身体表現の一つとして、人間が発見したもの。
それはそれとして、楽しめばよい。
それらのスポーツに対して、ただ歩くという単純極まりない運動を、
競わないスポーツとして対置し、この社会に広めていくことが必要になったと思う。

歩くという行為に、いろいろとデコレーションして、売り込もうというのも、
「人間には歩いてほしい」という素朴な背景があってこそだろう。

歩くことで得られる精神、身体的な開放感。車や電車、飛行機からではなく、
人間の目線と、歩くスピードで自然を見ることから得られる精神的落ち着き。
慌ただしい生活に、ある程度人間を慣らすことはできるが、
慣れたままで老境を迎えられる人は希だ。

職業性ストレス、うつの増加や、自殺率の高さ(世界有数)は、
人間の体が警告を発していると思ったほうがよい状況だ。

まさに、この時代、「人は野にあるように」あれ、ということだろうか。


利休七則~その2

2011-10-24 16:25:05 | ウォーキング

2.炭は湯の沸くように置き
湯を沸かす行為全体について触れており、事前の準備の重要性を言っているそうだ。
多くは、客の前で茶を点てるので、事前の準備が不足では、接客にならない。
物の準備は事前に揃えることが比較的しやすいが、火の準備は炭のおこし方に肝があり、
炭の準備が最も大切な作業だという。

例会の当日は、下見が済み、コース図ができており、スタッフの配置が決まっている。
後は、会員、参加者の集合を待ち、天候さえ良ければ言うことはない。

しかし、すべての準備ができていても、不測の事態は起こる。
参加者の体調不良、熱中症など突発的な障害、電車の遅れや不通、など、
その時になって急遽対応すべきことはいくらでもある。

準備段階で最も配慮すべきことは、コースを良く知っておくことだろう。
コース全体が頭に入っていれば、道のどちら側を歩き、どこで休憩し、
トイレもどこで時間を取るか、考えながら歩ける。
下見では、コマ図を詳細に書き、区間距離から所要時間を割り出し、これを基準に歩く。
途中不測の事態が起こった場合は、これを修正し、全体の流れを微調整する。
状況によっては、コースをカットし、時間調整をしたり、余裕があれば、一定の場所を、
予定外にゆっくりと散策しても良い。
限られた時間の中で、参加者が最大限に楽しめるよう配慮するには、
コースを詳細に知っていなくてはできない。

修正、微調整をするときに、全体がわかっていなければ、行き当たりばったりとなり、
適切な判断ができない。
当日の先頭を行くリーダーが中心的な判断をするのが普通だが、その判断を確認、
微調整する、サブリーダーの役割も大きい。
一人の判断は絶対ではないということを、織り込み済みの計画にしておくことが大切だ。
しかし、それはいくらでもくちばしを入れて良いということではなく、
事前に十分検討しておき、その検討結果に沿って進めることが前提だ。
そうあってこそ、サブリーダーの微調整が生きてくる。

すべては、よりよい例会実施のためであることを確認しておきたい。

明日は、3.花は野にあるように


利休七則

2011-10-23 21:19:23 | ウォーキング

『ディズニー 感動のサービス』の中に「利休七則」が取り上げられていた。
「利休七則」は、茶の湯の基本となる心得とのことであるが、「心配り」、
「気遣い」を要する場面で、たいへん参考になるとらえ方だと感心した。

1.茶は服のよきように点て
2.炭は湯の沸くように置き
3.花は野にあるように
4.夏は涼しく冬暖かに
5.刻限は早めに
6.降らずとも傘の用意
7.相客に心せよ

茶の湯の心得でありながら、茶道、剣道、柔道、書道などというように、
道を説くことにもつながる広がりをもつようで、他の場面にも適用ができる。

ウォーキングのいろいろな場面に、多少強引だが、引き寄せて解釈してみた。

1.茶は、飲み(服用)やすいように点てなさいという。
今回初めて知ったのだが、秀吉と三成の出会いがこれで、「三献茶」と言うそうだ。
秀吉がある寺を訪れたとき、対応した小姓が、たいへんのどが渇いていると見て、
温めの茶をたっぷりと差しだした。次ぎに飲み頃の茶を出し、最後に熱めの茶をだした。
この気配りに感服した秀吉が、さっそく召し抱えたという話だ。

相手が秀吉であるから、へつらったという見方もできるが、時と場合を的確に捉え、
その場で必要なサービスを提供した側面を見た方が、状況にかなっていると思う。

サービスの一方的な提供場面だけではなく、ウォーキングの初心者には基本から丁寧に、
経験者には、次のステップアップを見越した対応があるように、
それぞれにふさわしい対応がある。
また、ウォーキングの楽しさにもいろいろな側面があるが、ウォーキングの経験、
理解度、本人の嗜好に応じた提供の仕方があるだろう。

いずれにしても、会員、参加者のその時、その時期、その場所における気持ちに配慮し、
時宜にあった情報、サービスを提供する。このことが大切だと思う。

会の事務局、役員スタッフの心配りの1つとして捉えたい。

明日は、2.炭は湯の沸くように置き、について


確信犯と模倣犯

2011-10-22 21:55:35 | 言葉

家を出る時間がカギだ。機関紙配布のコースは、毎度決まっている。
一回り約40㎞ある。I幹事の家に12時少し前に着くと都合がよい。

そこから約5分のところに、目当ての“ラーメンショップ”はある。
メニューは、ラーメン、チャーハン、モツ煮しかなく、塩、味噌、醤油の味付けと、
ラーメン単品か、他2つの組み合わせで食べさせる。
麺の量が多く、大盛は未経験だ。

親からの遺伝で、昔から早食いの習慣である。
いつも“味噌チャーシューの中”を注文する。量が多いのはわかっている。
いつものことだが、脳の視床下部にあるという満腹中枢をだまし討ちにする。
ゆっくり味わうのは邪道で、がつがつとすすりこむのがラーメン食いの醍醐味だ。
この旨いラーメンを腹一杯食べるためには、
敵が気がつく前に食道を通過させなくてはならない。生来の早食いが大いに役立つ。
料金を払い、車に乗り、駐車場を後にして間もなく、敵は目覚める。もう後の祭りだ。
麺はすでに胃袋に到着しているだろう。

こうなることは、私にはすでにわかっていた。何となくとか、図らずも、ではない。
当然、過失ではなく、故意犯、常習犯であり、れっきとした確信犯だ。

このように食欲についての犯意は明らかだが、『模倣犯』は嫌だった。
『蒲生邸事件』やその他のミステリー、時代物などたいへん面白く読んできた。
『蒲生邸事件』など、3度も読み返している。
『クロスファイヤー』も面白い。自分が念じると、人が炎上するという設定だ。
これは、「必殺仕事人」のように、いわゆる悪い奴を闇に葬る、裏家業的な話だ。
この手の話は好きな方だ。

当初、娘が本を読んでもいないのに『模倣犯』を勧めていた。
中居が映画で主人公をつとめているからだろう。
本はページ数も多く、しばらくハードカバーしかなかった。
加えて、自分は中居が苦手なので、余計に二の足を踏んでいた。
映画は、もちろん見ていない。

しばらくして、文庫版が出たが、なぜか買う気にならず、図書館で借りて読んだ。

『模倣犯』は、友人だと思いこんでいる男を執拗にもてあそび、
破滅に追いやってしまうというストーリー。こういうのは、だめだ。
善人が、これでもかと言うほど苦しめられるということ自体、辛い設定だ。
犯罪者で、愉快犯とも言うべき、不快な人間が主人公というのは、読んでいて辛い。
読後感のこれほど悪い本は初めてだった。
読んで損をしたという印象が強かった。

最近、宮部みゆき著『悪い本』が新聞広告に載った。
一瞬『模倣犯』の懺悔本かと思ったら、小中高生が対象の本らしい。
『模倣犯』をよんでから、彼女の本には手がでなくなった。