悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

伊能ウォーク異聞

2011-08-04 21:11:26 | 言葉

井上ひさしには、伊能忠敬の蝦夷測量を基軸にして描いた、
『四千万歩の男』という長編小説がある。
これがあまりに面白かったので、その後いくつか読み、
今、『吉里吉里人』-新潮文庫版・全三冊-を読んでいる。

東北の一小村が日本国から独立するという壮大なスケールの話で、
案の定、あっちに引っかかり、こっちによたよたと、遊びの多い筋立てで独立騒ぎが進んでいく。
2冊目の第10章109ページ、「吉里吉里国」の独立を阻止しようと、自衛隊の戦車が登場する。
この戦車に、「吉里吉里国」の長老が立ちふさがり、戦車長に説得を試みる場面がある。

その長広舌の中で曰く、
「日本国において自衛隊は、正当に処遇されていない。必要な訓練も、地元が煩がるの、
予算が足りないの、山岳訓練では営林署が許可をしない云々…」という場面を読み、
ふと、一昔前の事件?が脳裏に甦ってきた。

時は、平成11年、「伊能ウオーク」の一隊が北海道から東北、関東と旗を進め、
栃木県小山市から茨城県古河市に入り、翌日は群馬県館林に旅装を解くという筋書き。
設立間もない古河悠歩の会が、古河市に協力して実施することになり、
コースづくりから関わった。
コースづくりは、市内郷土史家の松本さん。

古河市役所から三国橋を渡り、巴波川に沿って、板倉、館林と歩く20㎞のコース。
この過程で、伊能忠敬は三国橋の少し上流あたりを船で渡ったのだろうか?
伊能忠敬は、古河に2度ほど来ていると思われる。
三国橋を渡れば簡単だが、忠敬が船で渡ったあたりに、仮設の橋を架け、
そこを伊能ウオークの一隊が通るというのはどうか?
架橋は、自衛隊に頼もうということになった。
話はとんとん拍子に進み、ほぼ実施が確定した。
自衛隊でも、「昨今は架橋訓練がしづらくなった。古河市から依頼があれば、
やりやすい、渡りに船だ!」とのことであった。

ところが、とんだところから待ったがかかった。建設省(当時)河川局である。
7月からは、遊水地内に建造物を造ってはいけない。台風で増水したときに、
流れに影響を与えるから、というのがその言い分であった。
いろいろと抵抗を試み、台風が来そうなときは、すぐに撤去するから…などと
申しいれたが、受け入れられず、この架橋作戦はあえなく取りやめとなってしまった。

今でも、思い出すと悔しさが甦る。設立直後の古河悠歩の会にとって、
工夫して事業を面白い物にしよう、参加者に喜んでもらおうと、
期待に胸を膨らませながら取り組んだ計画であった。

これが、『吉里吉里人』を読んで、古河自衛隊駐屯地の、
日本国における不遇に思い至った話の顛末である