悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

事実から始まる

2011-08-06 22:27:58 | 言葉

昨今、ブックレビューばやりだ。最近亡くなった児玉清の書評は定評があり、
ファンも多かった。NHKの「週刊ブックレビュー」が人気番組で、1991年から
続いている。

読書離れといわれて久しいが、図書館などに行くとけっこう賑わっている。
それでも、中央公民館の図書室や、中田公民館、西公民館の図書室などは、
訪れる人もまばらだ。
やはり、情報の発信基地としての役割が期待されるだけに、
小規模な施設は人気がない、というか役にたたないことが多い。

古河市役所のHPで、図書の検索をし、目当ての本を探すことが多い。
古河市では、古河、総和、三和地区の図書館、図書室10ヶ所に分散されている。
7月26日に書いた「本探し」のように、三ヶ所で借り歩くということになると、
ちょっと面倒だ。近くの図書館で注文し、後日受け取るという方法はあるが、
今日明日の必要には応えられない。
図書館の充実に待つしかないが、文化会館の建設も取りざたされている今、
なかなか、台所事情もあり、苦しいところだ。

さて、昨日、NHKの「ブックレビュー」に「戸井十月」という作家が出演し、
最近出版された著書「道、果てるまで」について語っていた。
今まで、名前を聞いたことがある程度で、どんなものを書いているのか、
どんな活動をしている人なのかまったく知らなかった。
話を聞くと、32歳でとったバイクで、世界を走り回っている。
世界の五大陸をバイクで走り、ルポを書く活動を続け、2009年に完了したそうだ。

イランに行ったときの話、言葉は英語とスペイン語が少々しかできないらしいが、
身振り手振り、絵などを書き、何とか細かい話、交渉事などもこなしたらしい。
イランといえば、国際問題としてアメリカとの間で血なまぐさい話がある。
アメリカを経由して入ってくる情報と、現地でイラン人から受ける印象とでは、
かなりの隔たりがあると感じたそうだ。

国どうしの関係には、
個人の問題に還元(帰着、変換)できない複雑なものもあるだろうが、
個人のレベルをなおざり、知らんぷり、見て見ぬふりして、
国際問題化するだけだと、見えるものも見えなくなる危険性がある。

関東大震災の時、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマが流され、
多くの朝鮮人が殺されたこと、どさくさに紛れて政府に都合の悪い人たちが
虐殺されたりした。
時代の特殊性という側面もあるだろうが、隣にいる異邦人、異文化に生きる人
を理解しようとするひとが多くいれば、避けられた悲劇だったかもしれない。

「手話は、聾学校で覚える」ものだが、「聾学校では、手話を教えていない」
ということを知らない人が多い。授業は、教師が喋るのを見て学習する。
スパイ映画の世界ではないから、授業を先生の口を見て理解することは、
難しい。それでも、ろう教育の現状は変わらない。

「聾学校」とは、ろう者の集団であり、言葉を覚える場である。集団の中で覚える
ということは、先輩から教えてもらうわけである。
学ぶ場は年齢と共に広がり、地域、サークルなど、その他の集団を通してさらに
広がっていく。昨今の情報の広がりは、30年前とは大きく変化した。
今後は、もっと良い方向に変化していくだろうことを期待している。

聞こえる人にとっての常識があるように、聞こえない人にとっての常識がある。
人間としての常識にまとめきれない違いを、お互いに了解できればと思う。
ろう文化、日本語と違う言語としての「日本手話」。
ろう者は、独自なろう文化を持つと言われる。手話は、日本語と関係が深いが
独自な言語体系を持つようだ。(~私も今学習中)

そのような異文化を受け入れることのできる社会、小さくは、「古河悠歩の会」
でありたいと思う。
さまざまな機会を通して、ろう者、手話について、会員に知ってもらいたいと思う。