しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <物見のやぐらに>

2023-07-12 | ハバクク書
「私は、自分の物見のやぐらに立ち、砦にしかと立って見張り、私の訴えについて、主が私に何を語られるか、私がそれにどう応じるべきかを見よう。」(ハバクク2:1新改訳)

ハバククは腹を据(す)え、神のお答えが来るまで待ち望もうと決心する。物見のやぐら、砦(とりで)に立つとは、神の答えを一心に待って、祈りの座に着いた様子のこと。▼すると、ついに答えがあった。罪を犯(おか)し続ける者を、わたしはひじょうな怒りをもって見ている。偶像を拝み、不正を行い、流血をもって町を建て上げる者ほど、わざわいな存在はない。そのような残虐行為(ざんぎゃくこうい)で地の国々を支配したところで何になろう。バビロンよ、おまえは諸国に略奪行為(りゃくだつこうい)を働き、人の血を流し、民を滅ぼした。破壊された町と家々は神に向かってその罪悪を叫んでいる。しかもそれを、もの言わぬ偶像を拝みながらしたのだ。わたしのさばきを逃れることはできない。▼こうしてハバククは神のはげしい怒りを知り、定められたときが来れば、その燃える審判が必ず実行されることを知らされたのである。▼私たちにとり、物見のやぐらとは聖書=神のことばである。このやぐらに登れば、はるか永遠の昔から永遠の未来まで見渡すことができる。しかもいっしょにものみやぐらに登り、方向を示し、ひとつひとつ解説してくださるのは御聖霊である。このようにしてキリスト者は不安から解放され、神の御計画の壮大無比なことを悟り、天に座す方をほめたたえるに至るのだ。