「霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください」(2新改訳)
教会にとり、再臨ほどすばらしい希望はないが、それだけに悪魔も働く。初代教会から今まで、騒ぎまわったり、脱線したりする人々があとを絶たないのはそのためである。
しかし、それだからといって、アレルギーのようにこの教えを遠ざけた信仰生活をしているなら、別の意味で欺かれていることになろう。むしろ混乱や行き過ぎ、異端が多く起きるのは、敵にとって致命的なダメージを与えている証拠なのだ。
そこで私たちはパウロが「堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。」(15同)と勧めるのに従い、常に聖書を注意深く調べ、賢く正しい良心で再臨信仰を堅持すべきである。花婿を待つ10人の娘(マタイ25章)を分けたのは賢さと愚かさだったことを思い出そう。
[写真:きれいな札幌の夕やけ]