「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。」(詩篇22:1新改訳)
この節前半は、十字架上で主イエスが叫ばれたものとして、あまりにも有名。▼永遠の昔から愛の交わりにおいて一つであられた御父と御子、その交わりが十字架において裂かれたのだ。御子の内に輝いておられた父なる神の御愛は消え、呼べど叫べど答えはなくなった。その恐怖、その孤独の深さはいかなる人も表現できないだろう。私たちは捨てられるということの本当の恐怖を知らない。なぜなら、永遠のゲヘナに落とされたことがないからだ。▼御子は人の罪を負われたゆえに、父は激しい怒りを注ぎ、輝かしい愛の臨在から切り離して捨てたのである。その場における苦難の真相を見極めたお方は御聖霊であられた。第三位の神はダビデの口を通し、語り、書きつけ、全時代の信仰者たちに十字架を証ししておられる。それがこの22篇である。▼多くの人たちが、なぜイエス・キリストのあがないの死を信じないのか理解に苦しむ。御子の苦しみは、神の怒りを永遠に受け続けるゲヘナの実在をハッキリ物語る。そこからの救いがすべての人に提供されているのに、受け入れず、人生を送るほど恐るべきことはないのに。