「シモン・ペテロがイエスに言った。『主よ、どこにおいでになるのですか。』イエスは答えられた。『わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。』」(ヨハネ13:36新改訳)
ついに主イエスが弟子たちと別れる時が来た。▼燃えるような思慕(しぼ)からペテロは尋(たず)ねる、「主よどこへ行かれるのですか?」と。それに対し、「今はついて来ることができない。しかし後にはついて来ることになる」とお答えになる主。▼どんなにイエスを愛し慕っていても、それ以上は共に行けない一線がある。「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(→ヨハネ3:5)のだ。たとえ親子、夫婦、深い師弟関係でも、二人が御霊をともに受けていなければ、永遠の別離は必ず来る。私たちはその悲しさ、痛みを想像しているだろうか。▼愛する者と共に御国へ入れないときが来る、それを思えば夜も眠れず、泣きつつ祈るのが当然である。家族一同が救いにあずかるまで、枕を濡(ぬ)らし祈り続けているだろうか。主が再臨されるとき、そのことは起きるであろう。「そのとき、男が二人畑にいると一人は取られ、一人は残されます。女が二人臼をひいていると一人は取られ、一人は残されます。」(マタイ24:40,41同)