しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ヨエル書2章 <聖霊傾注>

2018-11-06 | ヨエル書

うさぎ「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」(ヨエル書2:28,29新改訳)

この預言はペンテコステの日、エルサレムで成就した。そしてエルサレム教会が生まれた。現代はその続きであり、世界中のあらゆる民族、階級、いっさいの区別を乗り越えながら広がり、とどまるところを知らない。地域において強弱はあるが、恵みの大雨が降りしきっており、特に異邦人たちが次々に御国の門をくぐっているとは、嬉しいかぎりである。▼そして時が満ちると、今度はイスラエルにこの雨が降り出すにちがいない。「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ」(ゼカリヤ12:10同)と明記されているからである。神はすべての民族、ノアの子どもたちをキリストにおいて一つに集め、来るべき永遠の御国を造りたもう。こひつじとはなよめの聖なる婚姻の日がそこまで近づいた。◆たしかに、主の教会はエルサレムから始まり、ユダヤ人たちが土台となった。が、しばらくすると福音は異邦人世界に広がり、今日に至っている。それは彼らの大部分がキリストを拒否し、福音を拒んで今日に及んでいるからだ。しかし、世の終わりにもう一度イスラエル全体が主イエスを信じ受け入れるときが来るであろう。◆教会は受肉した神のことば、ナザレのイエスにお会いしたユダヤ人たちから始まったが、歴史の終わりに、受肉した神のことばが再臨し、もう一度彼にお会いするユダヤ人たちによって締めくくられる。その間にはさまれるようにして異邦人の救いの歴史が造られているともいえる。パウロはそのことに言及して次のように言う。「イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、こうして、イスラエルはみな救われるのです」(ローマ11:25,26同)と。神の救いの御計画は、なんと妙なるもの、神妙不可思議としかいう言葉が見つからない。