「この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。」(10新改訳)
<o:p></o:p>
これは不思議な聖句。イスラエルが鈍く、頑固になるよう預言せよ、と神はイザヤに命じられた。しかしもちろん、民の生き方そのものに、ほんとうの原因があるのは明らかである。ではなぜ預言者は、民を不信仰のまま放置せよと命じられたのだろうか。
思うに、神の偉大な救いの計画は、時代と民族を越え、はるか遠くまで及んでいることを、後の人々に悟らせるためである。まさに、パウロが「神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです」(ローマ11:32同)と叫んだとおりである。
私たちの働きにも、実を結ばず、一見無意味に思えるものがあるかもしれない。しかしそんなときこそ、世々の計画を実行しておられる神の御手に目を留め、信仰を持ち続けたい。
<o:p></o:p>
使徒信条(私訳)<o:p></o:p>
わたしは天地のつくりぬし、全能の父であられる神を信じます。
わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んでほうむられ、よみにくだり、三日目に死人の中からよみがえり、天にのぼり、全能の父であられる神の右に座(すわ)られました。
そこから来られて生きている者と死んでいるとをおさばきになります。
わたしは聖霊を信じます。
聖である公同の教会、聖徒のまじわり、罪のゆるし、からだのよみがえり永遠のいのちを信じます。
アーメン<o:p></o:p>