「また、ユダヤ人を根絶やしにするためにスサで発布された法令の文書の写しを彼に渡した。それは、エステルに見せて事情を知らせ、そして彼女が王のところに行って、自分の民族のために王からのあわれみを乞い求めるように、彼女に命じるためであった。」(エステル記4:8新改訳)
ひとつの民族を根絶やしにする法令が、何も考えない無思慮の王によって発布される恐ろしさがここに記されるが、同時に帝国内の全ユダヤ人に断食と悲痛な叫び、神への哀願の祈りが巻き起こったことも記される。まことの神を知らないハマンは、ユダヤ民族のため大きな滅びの穴を掘ったつもりでいたが、その実、自分と一族郎党の墓穴を一生けんめい掘っていたにすぎなかった「穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、石を転がす者は、自分の上にそれを転がす」(箴言26:27同)とあるように。▼この世が、暴君の支配下にあろうと、全体主義であろうと神の前には問題がない。主が立ち上がられるとき、どんな計画も策略も一瞬にして海の藻屑(もくず)になるからである。しかもここで用いられたのは、か弱き一女性であった。神は活きておられる。これから後も、歴史は主の御心どおりに運ばれ、最後の日に至るであろう。◆さてこのとき、緊急事態を変え得る立場にいたのはエステルであった。モルデカイは彼女に言う、「もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来た(王妃の位に就いた)のは、もしかすると、このような時のためかもしれない」(エステル記4:14同)と・・・。エステルもひとりの若い女にすぎない。何も言わずに過ごし、自らがユダヤ人であることを秘し、王の寵愛(ちょうあい)を得ることに腐心していれば嵐は過ぎ去り、一生幸福に生きられる、そう考えたとしてもなんらふしぎではなかった。モルデカイはその心理を見透かしたように、彼女に14節の言葉を送ったのであった。◆つまり、ハマンとユダヤ人の戦いは、エステルにとっては自分自身の心との戦いになったのだ。かくて彼女は決意する。「宮廷の規則を破ってでも王の前に出よう。もし寵愛を得られず、死を賜るならそれでもいい。死ななければならないのでしたら、私は死にます」、そしてモルデカイに伝える。「どうぞ私個人のため、スサのユダヤ人すべてが三日間の完全断食をするようにしてください」と。◆人間にとって、最後のたたかいは、自分自身、すなわちわが心とのたたかいであることがわかる。人間はそれがゆえに人間なのである。御使いにはこのたたかいができない。天地宇宙にあるどんな被造物にもできない。人間が神のかたちを持ち、神と愛の交わりができるという理由は、このたたかいができるからだ、といってよい。地に落ちて死ぬことができる麦、それが人の作られた価値にほかならない。それゆえにイエスは仰せられる。だれでも自分のいのちを愛する者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを憎む者はそれを得ることができる、と。◆エステルは歴史上のひな型であり、本当のエステルは、あの夜、暗闇の園でおたたかいになった「ひとりのお方」なのである。