「わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。」(ヨハネ6:39新改訳)
天の父は、世界が始まる前から選んでおられた人々をイエスにお与えになった。▼私たちは自分で教会に行き、聖書を信じてキリスト者になったように思っているが、じつはあらかじめ選ばれていたから、そうなったのである。これは考えてみれば、じつに不思議で、人の考えや想像をはるかに超えて働く創造主の摂理という以外に表現する言葉がない。▼さらにすばらしいのは、父がそれらの人々を一人も失うことなく、最後の復活にあずからせようと決めておられることではないだろうか。私たちの信仰生涯は、自己の決心や努力で完成されるものではない。もちろんそれらが不必要というのではなく、すべてを支配し、運んでおられる神のみわざがあるから成就するのだ。▼親ワシが子ワシをつばさに乗せて飛ぶ姿にたとえられようか。子が羽をはばたかせても、実際に飛翔(ひしょう)しているのは親である。だから感謝しながら父のつばさの上で安らごうではないか。