流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

信太山駐屯地創立66周年記念行事 歴史資料館「修史館」

2023-04-25 | 陸上自衛隊
4月23日(日曜日)、陸上自衛隊信太山駐屯地にて創立記念行事が開催されました。

当地は、大阪府和泉市伯太町に所在する陸上自衛隊の駐屯地です。
駐屯地に歴史資料館「修史館」が置かれています。


「修史館」
杉の木で覆われた坂道を進むと、大正時代に建設されたモダンで当時の建築技術の高さを伺わせる建物があります。


石碑「御楯」(細部不明)


「砲弾」(細部不明)


「1トン爆弾」(不発弾)


昭和20年、アメリカ陸軍航空隊による大阪大空襲において、戦略爆撃機・B-29から投下された爆弾との事。
戦後、大阪城の堀で発見されました。


同館玄関の上部には桜の紋章が飾られていますが、終戦までは陸軍の象徴である『星』が掲げられていたとの事。


同館玄関の左側は、明治天皇の娘婿である北白川宮成久王殿下(野砲兵第1大隊長)の執務室でした。


同館玄関の右側は、将校集会場(現在:幹部集会所)でした。


「陸軍第4師団」
第4師団は、次の部隊により編制され、司令部は大阪城(大阪市中央区)内に置かれていました。
・歩兵第8連隊(大阪)、歩兵第37連隊(大阪)、歩兵第61連隊(和歌山)
・捜索第4連隊 (金岡)、野砲兵第4連隊 (信太山)、工兵第4連隊 (高槻)、輜重兵第4連隊 (金岡)
・師団通信隊、師団兵器勤務隊、師団衛生隊


「楠木正成」
楠木 正成(くすのき まさしげ)公は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将でした。
後醍醐天皇への忠誠を貫き通した楠木正成公の忠誠心が紹介されています。


「歩兵第8連隊」
明治の陸軍草創期からの歩兵連隊として第4師団の中核部隊でした。
大阪市法円坂町に駐屯していました。


「大阪陸軍幼年学校」
同校は、幼少時から幹部将校候補を養成するため大阪に設けられた大日本帝国陸軍の全寮制の教育機関(軍学校)です。
当初の学校は大阪市東区大手前之町(現在:中央区大手前)に設置され、その後は南河内郡千代田村(現在:河内長野市木戸東町)に校地が置かれました


「歩兵第37連隊」
日露戦争の奉天戦等で活躍し、『菊水連隊』として称せられた歩兵部隊です。
大阪市法円坂町に駐屯していました。


「第37普通科連隊」
同連隊は大阪府唯一の普通科部隊として、大阪南部及び和歌山県等の防衛警備・災害派遣任務を担当しています。
楠木家の家紋である『菊水』を同連隊の部隊マークとしています。


同館北側にて、陸上自衛隊で運用されていたヘリコプターが展示されていました。


多用途ヘリコプター「UH-1H」(41682)


機首にある『七飛』は、第7師団第7飛行隊(丘珠駐屯地/北海道札幌市東区丘珠町)との事。


乗員:2名(操縦士)、11名(乗員)


同機は、ベル・エアクラフト社(アメリカ)が開発したモデル204/205/212ヘリコプターです。


“UH-1”は、アメリカ軍における制式名称です。


日本では富士重工業が昭和37年からライセンス生産を行い、陸上自衛隊へ配備されました。


同機は導入時の UH-1B から → UH-1H → UH-1J へと機種更新されています。


観測ヘリコプター「OH-6D」(31148)


同機は、ヒューズ・ヘリコプターズ社(アメリカ)が開発した500型ヘリコプターです。


日本では、川崎重工業が昭和44年からライセンス生産を行い、陸上自衛隊に配備されました。


同じく海上自衛隊にも練習機として導入されました。


同機は導入時の OH-6J から → OH-6D へと機種更新されました。


令和2年(2020年)3月26日、最後の1機である東部方面航空隊所属の31311号機が用途廃止のため、立川駐屯地から霞ヶ浦駐屯地へ最終飛行が実施され全機退役となりました。


歴史資料館の見学を通じて当地における歴史や自衛隊の活動状況を知る事ができました。

式典会場での観閲式、太鼓演奏、訓練展示及び装備品展示の見学は叶いませんでしたが、大阪府唯一である普通科連隊の駐屯地に出会えた事に感謝です。
信太山駐屯地の隊員皆様、ありがとうございました。
゚・:,。★\(^^ )♪ありがと♪( ^^)ノ★,。・:・゚

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