流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

豊橋市地下資源館

2011-12-29 | 博物館・資料館等
地下資源館では、暮らしを支える資源とエネルギーに関する展示を行っています。


資料館入口は、三重県紀州鉱山の坑道をモデルとした模型です。
地下資源館へ入館する導入トンネルとなっています。


昔、抗夫の人たちが残した落書きを再現したものだそうです。
書かれている「延元2年」は、南北朝時代(西暦1337年)の頃との事。


採掘をしている坑夫の模型


「バッテリー機関車」
紀州鉱山で実際に使われていたバッテリー機関車と客車です。
機関車(重さ2トン)は鉱車や客車を引くために、客車は坑内と地上を往復する
作業員を運ぶために使われていました。


紀州鉱山は、銅や硫化鉱を採掘する鉱山で、主な鉱石鉱物は黄銅鉱、黄鉄鉱、
閃亜鉛鉱、方鉛鉱などがありました。
昭和45年には、銅1.3%、硫黄5.0%を含んだ粗鉱を265,000トンも
掘り出していましたが、その後は事業を縮小し、昭和55年に廃鉱になっています。


「マインカローダーとトロッコ」
マインカローダー(前車両)は砕かれた鉱石を腕の先についたバケットですくい、
トロッコに積み込む機械です。
トロッコ(後車両)は、鉱石や器材を運ぶ貨車で、鉱車とも言います


「坑内自転車」
線路上を自転車のようにペダルを踏んで走らせるもので、坑内の点検や連絡用に
使われていました。


「空圧クローラードリル(CD6A)」
これは、岩盤に発破孔(ダイナマイトをつめる穴)を開ける機械です。
昭和30年代から50年代半ばまで、全国各地の鉱山や採石場で使われていましたが、
油圧式クローラードリルが開発され、その役目を終えました。

ここでは他に地下資源開発、地下資源の利用、金属材料などに関する展示を
行っていますが、興味の無い方々には厳しいかもしれません。(×_×;
展示物の殆どが古く、今後の○○○対象となる匂いが・・・・。(T_T)
個人的には、三重県に鉱山が存在した事を知り得てよかったです。(^_^)
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日本車輌製造 豊川製作所

2011-12-25 | 鉄道
豊川市に所在する「日本車輌製造株式会社豊川製作所」へ行ってきました。
同所外柵沿いに電車車両などが展示されています。


「日本車両製国鉄向第1号制式蒸気機関車」(国鉄8620形蒸気機関車)
同製作社の正門右側に置かれています。


説明板によると、大正11年、同社として初めて国有鉄道(当時の鉄道省)に納入した制式蒸気機関車との事です。


「懸垂式モノレール」(上野動物園モノレール)
同製作社の正門右側に置かれています。


説明板によると、昭和32年に登場した、我が国初めてのモノレールカーとの事です。
上野動物園の東園駅と西園駅を結ぶ延長0.3キロというミニ路線でしたが、東京都交通局に属し、法律上の取り扱いは立派な鉄道との事です。


外柵沿いの車両以外にも敷地内に車両が展示されてるのが外柵から見えます。
同製作所HPによると、平成12年6月、既存および新規の保存車両を整備し記念のモニュメントとして、「メモリアル車両広場」を設けたそうです。


「国鉄0系新幹線電車」
昭和39年、世界一の営業速度を誇る列車として国鉄東海道新幹線に登場した高速電車です。
国鉄として初めて標準ゲージ・ATCを全面的に採用しました。
高速列車に特化した専用軌道を建設して最高営業運転速度210km/hで運転する新幹線システムは日本の鉄道史上画期的なものです。
世界からも注目されるものとなっています。


「名古屋鉄道モ800形電車」
昭和10年、名古屋鉄道の前身、名岐鉄道に10両納入されたテポ800形です。
昭和初期、関東及び関西の各私鉄に名車と評される様々な高速電車を納入し、各地の交通網の充実の一翼を担いました。


「ND701形ボルスタレス台車」
この台車は、名古屋鉄道の特急電車モ7714号に取り付けられ、長期間の実用試験によりその性能が確認されました。
台車は、国鉄・JR向け205系電車用DT50系に採用され、以降、ボルスタレス台車として国内・外に広く普及しています。


「700系新幹線電車」
JRへの納入待ちでしょうか? 細部は不明です。
中に入って、見たい気持ちがこみ上げてきますね。f^_^;

豊川製作所のメモリアル車両広場は、一般公開をしていないとの事。
しかし、敷地外からでも見て楽しめる所でした。
(^_^)
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所沢航空発祥記念館

2011-12-22 | 博物館・資料館等
所沢航空発祥記念館は、所沢航空記念公園の敷地内に位置する航空をテーマとした博物館です。
同公園のシンボル的存在であり、平成5年に開館しています。


「臨時軍用気球研究会式一号機」
同機は実機として現存せず、原寸大レプリカで記念館エントランス・ロビー天井に吊り下げ展示されています。
また同機は、明治43年12月19日、代々木練兵場にて日本国内初の公式飛行に成功しています。


「フライヤー1号」(実物に対して60%サイズのレプリカ)
アメリカのライト兄弟が製作した世界最初の動力飛行機です。


フライヤー1号は、明治36年12月17日、距離36メートル、12秒間の飛行に成功しています。
画像は、操縦の様子を再現しています。


「九一式戦闘機」
日本で唯一の現存機体であり、重要航空遺産(日本航空協会)や近代化産業遺産(経済産業省)として保存されています。
第2次世界大戦前の日本陸軍最初の単葉戦闘機であり、陸軍初の日本オリジナルの設計による戦闘機です。


「ニューポール81E2」
残された機体の一部を展示しています。


「ニューポール81E2」(レプリカ)
往年の姿が残された設計図を参考にレプリカとして再現されています。


「小航空写真機(九六式)」
昭和5年3月、日本工学工業(株)が製作しています。


「航空交通管制と航法」の紹介コーナー
レーダーをはじめ、実際に使われていた管制装置の展示や航空管制の役割を紹介しています。


画像にある管制卓は平成4年3月まで、所沢市ある運輸省(現在:国土交通省)東京航空交通管制部で使われていたものだそうです。

<航空機エンジン展示>

「ライト R-1820-103」
レシプロエンジン空冷式星型9気筒
陸上自衛隊ヘリコプター・V-44や航空自衛隊ヘリコプター・H-21Bに搭載されていました。


「ライカミング T53-L-11-A(KT5311A)」
軸流・遠心式ターボシャフト/ターボプロップエンジン
陸上自衛隊ヘリコプター・UH-1Bのエンジンで使用されました。


「アリソン CT63-M-5A(250-C-18A)」
軸流・遠心式ターボシャフトエンジン
陸上自衛隊ヘリコプター・OH-6Jのエンジンで使用されました。


「ロールス・ロイス RB.53ダートMk.543-10」
日本航空機製造YS-11のエンジンです。


「ロールス・ロイス RB.41 ニーン」
遠心式ターボジェットエンジン


「ジェネラルエレクトリック CT58-IHI-101-1」
軸流式ターボシャフトエンジン
石川島播磨重工業(当時:石川島)のライセンス生産
ボーイング・バートル/川崎_KV-107IIヘリコプターのエンジン


「J3-IHI-7B」
軸流式ターボジェットエンジン
日本メーカーである石川島播磨重工業(当時:石川島)が戦後初めて独自に開発し、量産した純国産ジェットエンジンです。
富士重工業が生産した航空自衛隊の中等練習機T-1Bのエンジンとして使われました。


「川崎ハ-40」
三式戦闘機・飛燕のエンジン


「コンチネンタル 0-470-11:E-1」
レシプロエンジン空冷式水平対応6気筒
セスナL-19A/E連絡機に搭載されていたエンジン


「CT58-IHI-110-1」(カットモデルエンジン)
多くの回転翼エンジンとして使われ、航空自衛隊では救難ヘリコプター・S-62のエンジンでも採用されています。

<実機展示>

ノースアメリカン社・高等練習機「T-6G」


シコルスキーエアクラフト社「H-19」
同社のS-51から発展させたもので、空用輸送ヘリコプターとして軍民共に世界各国で採用され、ヘリコプターの有用性を実証する先駆者的な業績を残しています
全世界で1,828機が製造されたベストセラー機種でもあるそうです。
同機は、陸上自衛隊(S-55)や航空自衛隊(H-19C)でも使用されています。


パイアセッキヘリコプター社「H-21」
同社(後のボーイング・バートル社)で開発された4番目のタンデムローター式ヘリコプターです。
同機は、陸上自衛隊(V-44A)や航空自衛隊(H-21B)でも使用されています。


富士重工業・中等練習機「T-1B」
第2次世界大戦後初の実用国産飛行機であると同時に、日本初の実用ジェット機です。


パイパーエアクラフト社「L-21」
保安隊、その後の陸上自衛隊において、各飛行隊での連絡機で使用されました。


ベル社・多用途ヘリコプター「BELL204B」
陸上自衛隊では、UH-1Bとして使われました。


ビーチクラフト社・練習機「T-34」
メンターとも呼ばれ、陸海空の各自衛隊で連絡機もしくは初等練習機として使われました。


川崎航空機・連絡機「KAL-2」
川崎航空機(現在:川崎重工業)が製作したレシプロエンジンの連絡機です。
K・Aの略は川崎航空機、Lの略は連絡機だそうです。
同機は2機製作され、1号機は海上自衛隊へ納入、2号機は航空自衛隊へ納入されています。
展示機体は、航空自衛隊から陸上自衛隊へ移管された2号機です。


スチンソン社・連絡機「L-5E」
日本では昭和28年、アメリカから35機供与され、パイロット養成に使用されました。
昭和31年まで使われました。


ヒューズヘリコプターズ社・輸送用ヘリコプター「OH-6J」
川崎重工業がライセンス生産を行い、陸・海上自衛隊、海上保安庁など民間で使用されています。

同館において、所沢から発展していった日本の航空機に関する歴史などを知る事ができました。
ありがとうございました。
☆゚.+゚o(>Д<。*)ノ゚+.★ァリガトォ★゚+.ヽ(*。>Д<)o゚+.゚☆
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鉄道建設記念碑

2011-12-20 | 史跡・旧跡
JR東京駅ホームにレンガ造りの碑が置かれています。

昭和48年4月20日、鉄道100年と新幹線の発展を記念して設けられた「鉄道建設記念碑」とのこと。
レンガ造りの碑には、「国鉄元総裁・十河信二氏の顔のレリーフ」(左上)と十河氏の座右の銘である「一花開天下春」(右下)の文字が刻まれています。


碑の裏面には、次が刻まれています。
「新幹線の開業」、「東京-新大阪 1964・10 552.6km」、
「新大阪-岡山 1972・3 160.9km」、「岡山-博多 1975・3 420km」

この碑は、第18、19番線ホーム・大阪方面の端にあります。
東京駅にある知る人ぞ知る「お宝」かもしれませんね。


<東京駅・19番ホーム>

「700系新幹線電車」
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天竜浜名湖鉄道・宮口駅

2011-12-18 | 鉄道
浜松市北区に所在する天竜浜名湖鉄道の宮口駅へ行ってきました。


宮口の地名は、若倭神社の社前に位置するからという説と、三宅郷の入口にある集落を三宅口と呼び、宮口に転訛(てんか)したという説の2つがあるようです。


同駅本屋及び上りプラットホーム、待合所及び下りプラットホームが国の登録有形文化財に登録されています。


「acoustic bench(あこーすてぃっく べんち)」
下りホームに置かれている木製ベンチです。
静岡文化芸術大学の方によるデザインとの事です。


上りホームに掛川行きの電車が来ました。


天竜浜名湖鉄道の主力車両である「TH2100型気動車」です。

天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線における建造物や施設の多くは、国の登録有形文化財に登録されています。
これから要注目ですね。
(^_^¥
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西遠鉄道・宮口駅跡

2011-12-17 | 廃線・廃駅
浜松市浜北区宮口に「軽便鉄道宮口駅跡」があります。

大正13年7月1日、西遠軌道(後に西遠鉄道へ改称)が貴布祢(現在:遠州鉄道浜北駅)から宮口間に軽便鉄道を敷設し、営業が始まったそうです。
宮口線とも言われているとの事

蒸気機関車を主力として運営していましたが、後にガソリンカーに置き換えらています。
営業開始当時から沿線の人口は希薄、かつ路線も4.2キロと短いことから、慢性的な赤字経営でした。
昭和3年9月1日、遠州電気鉄道(後の遠州鉄道)に経営を委託します。
その後、宮口の地に国鉄二俣線(現在:天竜浜名湖鉄道)の駅開設が決まると営業継続は困難が確実視され、昭和12年10月6日に全線廃止となります。

文献等で調べると、宮口駅には瓦屋根付きの小さな待合室、駅員室(切符売り場)、車庫などがあり、車両の方向を変える方向転換機もあったそうです。
動力車は、遠州電気鉄道から購入したドイツコッペル社製の蒸気機関車が3両、他に客車3両、有蓋貨車2両、無蓋貨車1両を保有していたとの事。
客車は15人から30人乗りで、1時間おきに1日12本の運行していました。

現在は線路等の跡形もなく、木製の杭だけが残っているだけです。
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自主防災隊集合訓練

2011-12-09 | 防災訓練等
12月4日(日)、浜松市東部消防後援会が主催する「第31回自主防災隊集合訓練」が開催されました。
会場内は訓練参加者だけの限定だったので、部外者となる者達は堤防から眺めるだけでした。(×_×;


浜松市消防航空隊のヘリコプター「はまかぜ」が飛来しました。


要救助者の吊り上げを実施


航空自衛隊浜松救難隊の救助ヘリコプターUH-60Jが飛来しました。
今回飛来したUH-60Jは、今では珍しい「白&黄カラー」です。


救難員が降下しています。


傷病者を吊り上げし、機内へ収容します。


その後、一斉放水が実施されました。

今回も他に各種訓練があったのですが、会場内に入れず全く不明でした。
ここが精一杯・・・。残念でした。(×_×;
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池神競馬場跡

2011-12-08 | 史跡・旧跡
磐田市下神増にて、(年代不詳、約50年前ぐらい)草競馬場があったそうです。
石碑には、建立の経緯等に関する説明について見当たりませんでした。
文献等も探したのですが、細部は不明です。
当時としては、有志の人達が馬を持ち寄って開催し、賑わっていたそうです。
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