流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

光明電気鉄道・二俣口駅跡

2011-05-26 | 廃線・廃駅
天浜線・天竜二俣駅の構内の外れに、光明電気鉄道・二俣口駅のプラットホーム跡が残っています。

光明電気鉄道は、静岡県中泉町(現、磐田市)の東海道本線中泉駅(現、磐田駅)に隣接する新中泉駅から、二俣町(現、浜松市)の二俣町駅までの19.8kmを結ぶ鉄道路線を運営していた会社でした。
光明村(現、浜松市)の船明まで開業させることを目的としたことから、この社名となったそうです。

大正11年に会社が創立されますが、経営難により、昭和14年に同社は解散。
このことから「悲劇な鉄道」、「幻の鉄道」として語られているそうです。

当地は、昭和5年12月10日、延伸開業した際「阿蔵駅」の名称だったようですが、後に「二俣口駅」と改称(理由不明)されたそうです。
結果論ではありますが、最初から無理な鉄道敷設だったようですね。
(○ ̄~ ̄○;)ウーン・・・
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天竜レトロ・トレインクラブ 「車内公開イベント」

2011-05-23 | 鉄道
5月22日(日曜日)、天竜二俣駅西側広場にて「車内公開イベント」が催しされていました。

本イベントは、天竜レトロ・トレインクラブ(略称:TRTC)により行われていました。
同クラブは、ディーゼル車及び客車の修復・保存を中心に取り組んでいます。
鉄道文化遺産として貴重な2両を多くの人に見てもらうため、車内公開を中心としたイベントを開催をしています。


気動車「国鉄キハ20系気動車」(キハ20/443号)
昭和32年に当時の国鉄の近代化計画とともに登場し、旧国鉄二俣線で活躍したディーゼルカーとの事。
昭和41(1966年)までに系列合計1,126両が製造され、日本各地で使用されました。


キハ20の運転席です。


キハ20の車内では、鉄道模型が展示されていました。


寝台列車用客車「国鉄20系客車」(ナハネ20/347号)
昭和33年に寝台特急『あさかぜ』用として登場し、”走るホテル”と呼ばれ、一時代を画した功績を持っているとの事。
ブルートレイン寝台車(B寝台)として運行しました。


旧国鉄時代で使われていた駅名表示板です。
当時は、天竜市(現在:浜松市天竜区)の『遠江二俣』(とうとうみ ふたまた)でした

本イベントを主催した天竜レトロ・トレインクラブは、活動を通じて天浜線の活性化に向けたお手伝いや地域の話題作りに繋げていくそうです。
今後とも楽しい企画を期待させていただきます。
(^_^)
コメント (2)
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天浜線フェスタ

2011-05-22 | 鉄道
5月22日(日曜日)、天竜浜名湖鉄道・天竜二俣駅構内にて「天浜線フェスタ」が開催されました。

天竜浜名湖鉄道は、旧国鉄特定地方交通線二俣線を前身とし、静岡県遠州地方の浜名湖北岸を走る鉄道路線「天竜浜名湖線」を運営している第三セクター企業です。
本イベントは、天竜二俣駅東側にて開催されていました。


会場場所は、天竜浜名湖鉄道の車両基地(機関区)であり、夜間滞泊の基地です。
現在でも、蒸気機関車時代の扇形車庫と転車台がそのまま使われています。
転車台では、機動を展示してました。


扇型車庫内にて展示されていた「保線用車両(型式等不明)」です。


天浜線フェスタ開催時のみオープンされる「鉄道史料館」です。


鉄道史料館内は、昭和のノスタルジックな雰囲気を出しています。
当時の鉄道に関わる道具や部品を展示していました。


天竜浜名湖鉄道が所有する建物(休憩所・事務室・浴場)、扇形車庫、転車台は国の登録有形文化財に登録されています。
扇形車庫、転車台は近代化産業遺産に認定されています。
中央正面のコンクリート建物は、「貯水タンク」です。
見れば見るほど、使い込まれた建物であることが感じられます。


鉄道部品等の投票式オークションが行われていました。
鉄道ファンには、堪らないグッズでしょうね。\(^_^)/


「TH3000型気動車」(天竜二俣駅)

久しぶりに気持ちが高揚する楽しいイベントでした。
このように間近に見る機会を得たことに感激です。
ありがとうございました。
<_ _>
コメント (2)
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