
4月23日(日曜日)、陸上自衛隊信太山駐屯地にて創立記念行事が開催されました。

当地は、大阪府和泉市伯太町に所在する陸上自衛隊の駐屯地です。

同駐屯地には次の部隊が駐屯しています。
・第37普通科連隊
・第3後方支援連隊第2整備大隊第3普通科連隊直接支援中隊
・中部方面混成団第49普通科連隊第3中隊(即応予備自衛官を主体として構成されるコア部隊)
・中部方面会計隊第398会計隊
・中部方面システム通信群第318基地通信中隊信太山派遣隊
・信太山駐屯地業務隊
・中部方面警務隊第131地区警務隊信太山派遣隊

石碑「野砲兵第四連隊址」
大正8年(1919年)11月、陸軍野砲兵第4連隊第1大隊(当時:大阪市東区法円坂町)が移駐し、陸軍信太山駐屯地が開設

「A号隊舎」
第37普通科連隊は、第7普通科連隊第3大隊を基幹として新編された陸上自衛隊37番目に編成された普通科連隊でです。
本部管理中隊、5個普通科中隊、重迫撃砲中隊から編成されています。
『菊水連隊』とも称された大日本帝国陸軍の歩兵第37連隊の称号を継承し、連隊番号や菊水紋を継承しています。

石碑「精強」
趣旨/中隊の強固な団結に支えられた精強第37普通科連隊を象徴するものである。
<駐屯地沿革>
昭和20年(1945年)、終戦後において占領軍に接収され米軍が駐留、朝鮮戦争勃発まで陸軍第25歩兵師団第27歩兵連隊が駐留
昭和25年(1950年)、米海兵隊の下士官養成学校として使用
昭和32年(1957年)09月02日、米軍の接収解除、陸上自衛隊信太山駐屯地として開設、第7普通科連隊第3大隊、第4陸曹教育隊のほか業務諸隊が移駐
昭和36年(1961年)12月20日、第108教育大隊が松山駐屯地へ移駐
昭和37年(1962年)01月18日、第7普通科連隊第4大隊を基幹として第37普通科連隊を新編
昭和44年(1969年)08月01日、第4陸曹教育隊が松山駐屯地へ移駐
平成18年(2006年)03月27日、第37普通科連隊の改編
対戦車中隊及び本部管理中隊管理整備小隊を廃止し、対戦車中隊を基幹として第5普通科中隊を新編、
第3後方支援連隊第2整備大隊第3普通科直接支援中隊を新編

「三八式野砲」

三八式野砲は、明治40年(1907年)に制式採用された陸軍野砲です。

大阪砲兵工廠(大阪市中央区/大阪城内)において約3,000門が生産され、師団砲兵(一般の野砲兵連隊)の主力野砲となりました。

石碑「馬魂碑」
砲兵達と共に各地の戦場や国内を駆け抜けた、かけがいのない戦友『軍馬』が大切に祀られています。

「鍋塚古墳」(鍋塚/王塚)
第17代履中天皇の皇子である市辺押歯皇子の墓といわれる古墳です。
現状では古墳裾部が若干埋められており、復元した場合、直径60mを越える円丘の古墳として大阪府下最大の円墳と呼ばれています。

「さざれ石」
さざれ石は、国歌『君が代』に詠まれているとおり大小の石が永い歳月のうちに凝結して自然に大きな巌(いわお)となったものです。

「業務車4号」自衛隊大阪地方協力本部 阪南地区隊 岸和田地域事務所

「高機動車」第37普通科連隊

「軽装甲機動車」第37普通科連隊

「消防車」信太山駐屯地業務隊 管理科 消防ポンプ班

「救急車」信太山駐屯地業務隊 衛生科

「1/4tトレーラ」第131地区警務隊信太山派遣隊

「業務用天幕」第37普通科連隊
部隊指揮所用として使用される他、宿営用、補給品や資材の保管に使用されています。

「集約倉庫」

「厚生センター」

「ポプラ 信太山駐屯地店」
ポプラは、中国地方を中心に店舗展開しているコンビニエンスストアです。
大阪府内において8店舗が展開してる中、陸上自衛隊駐屯地で出会えたのは貴重です。

「喫茶部サンパール」

喫茶部にて、カツカレーを頂きました。

「式典会場」
駐屯地グランドにおいて、観閲式、太鼓演奏、訓練展示及び装備品展示が実施されました。
多数の来場者により大混雑でした。
残念ながら式典会場での見学は断念しました。
この後は、駐屯地内の他施設を見学します。・・・・・・続く。(^_^v

当地は、大阪府和泉市伯太町に所在する陸上自衛隊の駐屯地です。

同駐屯地には次の部隊が駐屯しています。
・第37普通科連隊
・第3後方支援連隊第2整備大隊第3普通科連隊直接支援中隊
・中部方面混成団第49普通科連隊第3中隊(即応予備自衛官を主体として構成されるコア部隊)
・中部方面会計隊第398会計隊
・中部方面システム通信群第318基地通信中隊信太山派遣隊
・信太山駐屯地業務隊
・中部方面警務隊第131地区警務隊信太山派遣隊

石碑「野砲兵第四連隊址」
大正8年(1919年)11月、陸軍野砲兵第4連隊第1大隊(当時:大阪市東区法円坂町)が移駐し、陸軍信太山駐屯地が開設

「A号隊舎」
第37普通科連隊は、第7普通科連隊第3大隊を基幹として新編された陸上自衛隊37番目に編成された普通科連隊でです。
本部管理中隊、5個普通科中隊、重迫撃砲中隊から編成されています。
『菊水連隊』とも称された大日本帝国陸軍の歩兵第37連隊の称号を継承し、連隊番号や菊水紋を継承しています。

石碑「精強」
趣旨/中隊の強固な団結に支えられた精強第37普通科連隊を象徴するものである。
<駐屯地沿革>
昭和20年(1945年)、終戦後において占領軍に接収され米軍が駐留、朝鮮戦争勃発まで陸軍第25歩兵師団第27歩兵連隊が駐留
昭和25年(1950年)、米海兵隊の下士官養成学校として使用
昭和32年(1957年)09月02日、米軍の接収解除、陸上自衛隊信太山駐屯地として開設、第7普通科連隊第3大隊、第4陸曹教育隊のほか業務諸隊が移駐
昭和36年(1961年)12月20日、第108教育大隊が松山駐屯地へ移駐
昭和37年(1962年)01月18日、第7普通科連隊第4大隊を基幹として第37普通科連隊を新編
昭和44年(1969年)08月01日、第4陸曹教育隊が松山駐屯地へ移駐
平成18年(2006年)03月27日、第37普通科連隊の改編
対戦車中隊及び本部管理中隊管理整備小隊を廃止し、対戦車中隊を基幹として第5普通科中隊を新編、
第3後方支援連隊第2整備大隊第3普通科直接支援中隊を新編

「三八式野砲」

三八式野砲は、明治40年(1907年)に制式採用された陸軍野砲です。

大阪砲兵工廠(大阪市中央区/大阪城内)において約3,000門が生産され、師団砲兵(一般の野砲兵連隊)の主力野砲となりました。

石碑「馬魂碑」
砲兵達と共に各地の戦場や国内を駆け抜けた、かけがいのない戦友『軍馬』が大切に祀られています。

「鍋塚古墳」(鍋塚/王塚)
第17代履中天皇の皇子である市辺押歯皇子の墓といわれる古墳です。
現状では古墳裾部が若干埋められており、復元した場合、直径60mを越える円丘の古墳として大阪府下最大の円墳と呼ばれています。

「さざれ石」
さざれ石は、国歌『君が代』に詠まれているとおり大小の石が永い歳月のうちに凝結して自然に大きな巌(いわお)となったものです。

「業務車4号」自衛隊大阪地方協力本部 阪南地区隊 岸和田地域事務所

「高機動車」第37普通科連隊

「軽装甲機動車」第37普通科連隊

「消防車」信太山駐屯地業務隊 管理科 消防ポンプ班

「救急車」信太山駐屯地業務隊 衛生科

「1/4tトレーラ」第131地区警務隊信太山派遣隊

「業務用天幕」第37普通科連隊
部隊指揮所用として使用される他、宿営用、補給品や資材の保管に使用されています。

「集約倉庫」

「厚生センター」

「ポプラ 信太山駐屯地店」
ポプラは、中国地方を中心に店舗展開しているコンビニエンスストアです。
大阪府内において8店舗が展開してる中、陸上自衛隊駐屯地で出会えたのは貴重です。

「喫茶部サンパール」

喫茶部にて、カツカレーを頂きました。

「式典会場」
駐屯地グランドにおいて、観閲式、太鼓演奏、訓練展示及び装備品展示が実施されました。
多数の来場者により大混雑でした。
残念ながら式典会場での見学は断念しました。
この後は、駐屯地内の他施設を見学します。・・・・・・続く。(^_^v
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