えしぇ蔵日記

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大原 隠棲の里を歩く その2

2019年03月30日 | Weblog

ホテルの朝食を済ませた後、早速バスに乗ってこの旅のメインである大原へ。 
バスだと京都から約1時間ほどの移動。かなり山奥の方に入っていく。ここは古来から貴人や僧侶の隠棲の地として知られている静かな里だ。      

到着してまずは「三千院」へ。なんとも静かな佇まいは、たしかに"恋に疲れた女が一人"で来そうな落ち着いた雰囲気。
天台宗門跡の中でも歴史がかなり古く、起源は最澄の時代まで遡るらしい。もとは比叡山にあった円融房に始まり、あちこちと移転した後、明治4年に大原に来たそうな。
広い境内は自然を生かした素晴らしい景観が広がり、散策が楽しかった。







その後、「実光院」、「勝林院」を覗いた。
勝林院はあの"大原問答"が行われた場所。 浄土宗を開いた法然を、真言宗、天台宗、華厳宗などの他宗派の僧侶たちが大勢集まって論破しようとしたが、法然は一昼夜に渡って見事に論戦に打ち勝ったらしい。それも たった一人で。どんなすごい人だったのだろうかと興味がわいたので、今度詳しく調べてみようと思う。



次は「宝泉院」。額縁の間で庭を見ながらまったりと抹茶を頂いた。庭にでんと構える「五葉の松」は樹齢なんと700年だそうな。ワシらの人生など瞬きの間だ。



見上げればここにも伏見城の血天上があった。静寂の間の上には地獄の名残というなんとも意味深い空間。



ここには平成17年にできた「宝楽園」という現代のデザイナーによる庭もあるが、これが非常に斬新でユニークだった。



静かな場所で静かな時間を過ごせる幸せを噛みしめたひとときだった。

その後はしばらく歩いて移動して「寂光院」へ。ここは大原の中でもまたさらに奥の方にある。
「寂光院」とくれば平家物語に触れないわけにはいかない。源平合戦のクライマックスである壇ノ浦の戦いで、一族こぞって死んだ中で一人生き残った建礼門院徳子は、京都に送り返された後に出家し、この地で一族の菩提を弔いながら余生を過ごした。 我が子の安徳天皇をはじめ、一族ほとんど死に絶えた後に自分だけが残されるというのはどれほどつらいことだったろうか。その心境を推し量りつつ境内を歩いた。





ここでお昼になったので「クルム」でランチした。このお店のカレーのおいしかったこと!なるほどこれだけの味なら京都の繁華街でなくとも勝負できるというものだろう。

その後再びバスで京都に戻った。出町柳駅付近で降りて、ぷらぷらと買物しながら「京都御所」へ。一足先に咲いてる桜を見た。 「京都御所」の後はまた街を散策。買物したりお茶したりしながらホテルに戻った。

少し休憩した後、買物してから夕食のお店「京都ネーゼ」へ。前回の旅に続き2回目。今回もまたうまかった。
前回はカルボナーラに感動して自宅で再現にトライしたが、今回のプッタネスカはトマトソースの絶妙さがちょっとワシには再現できそうにない。だがプロならここまで美味くなるんだという感覚をつかんだだけでも参考になった。
ワインも生ハムも鴨のコンフィも最高だった。 次回はコースが食べてみたい。

ということで2日目も無事終了。明日は「醍醐寺」へ。

「寂光院」

大原や 栄華ののちに 尼ひとり
袖をぬらすや 朧の清水

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