【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「レスラー」:堀江団地バス停付近の会話

2009-06-13 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

あーあ、この歩道橋から飛び降りてしまいたい気分だぜ。
なに、情けないこと、言ってるの、いい年した男が。
どうせ、俺は、ボロボロのクズさ。
そんな「レスラー」のミッキー・ロークみたいなこと、言わないの。
“ボロボロのクズ”なんて、ブイブイ、フェロモン出してた若い頃のミッキー・ロークが言えば、色男のかっこつけにも思えるんだけど、いまのブヨブヨ顔のミッキー・ロークが言うと、とてもひとごととは思えないんだよ。
時の流れは残酷というか、昔の面影がどこにもないもんね。
俺も昔は、葛飾のミッキー・ロークと呼ばれてたんだけどな。
うっそー。せいぜい、ミッキー・マウスのなれの果てじゃない。
って、どんな顔だよ。
チューもしたくない。
悪かったな。
でも、人生の艱難辛苦が体中から滲み出ているところだけは、いまのミッキー・ロークに似ているかも。
「レスラー」のミッキー・ロークは、最初に登場する背中からしてすでに、うらぶれた感をビンビンに発している。
役柄が、かつては栄光の座にありながらいまは落ちぶれた場末のプロレスラー役だからね。どうしたって、実際の役者人生と重ね合わせて観てしまう。
ボロボロのクズと呼ばれた男が、男であることをリングで証明する映画といえば、「ロッキー」を思い出してしまうんだけど、あれは、これから頂点をめざす若者の話だから感動できたんだよな。あの高揚感を感じさせるには、頂点を過ぎたレスラーはどうしたって年をとりすぎている。
ミッキーは、ロッキーにはなれない。
かつての栄光を追うという意味では、むしろ、「ロッキー・ザ・ファイナル」に近い。
だけど、「ロッキー・ザ・ファイナル」は功なり名遂げた男の話だからね。
それにひきかえ、「レスラー」のミッキーは家賃も払えず追い払われるくらい過去の栄光とは無縁の男。
ひとごととは思えない?
思えない、思えない。
でも、あなたには過去の栄光もないけどね。
悪かったな×2。
結局、彼は自分の死に場所を求めていくように見える。
グラン・トリノ」のクリント・イーストウッドが死に場所を求めていくようにな。
うん、自分の人生にどういう決着をつけるか。だんだん、そんな崇高な雰囲気が漂い始めて、案外奥の深い映画になっていく。
そう、若者の高揚感はないけど、年寄りの崇高感はある。それはそれで心にグッとくる。
そんな男の磁場に引かれるように、踊り子のマリサ・トメイが心を通わせていく。
「ロッキー」のエイドリアンみたいに。
かなり老けたエイドリアンだけどね。
でも、その熟女の生活感がたまらなくチャーミングなんだ。
多くは語られないけど、彼女もきっと人生の辛酸をなめてきたんでしょうね。
それを自然な仕草で感じさせて、マリサ・トメイもミッキー・ロークに匹敵するくらいいい仕事をしている。
凄残な人生を歩いてきた者同士だからわかりあえるような情感が漂っていて、「ロッキー」のカップルでは醸し出せない後味が残る。
まるで俺たちみたいに。
私は別にそんな凄残な人生は送ってきてないけど。
そんなことはないだろう。目じりのしわを見てみろよ。
あーあ、あなた、やっぱりここから飛び降りちゃったら?




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ふたりが乗ったのは、都バス<亀29系統>
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