【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「星を追う子ども」

2011-05-07 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

新海誠監督の新作。
秒速5センチメートル」なんていう、豊かな詩情を喚起する秀逸なタイトルの映画のあとだから、どんな映画が出てくるかと思ったら、「星を追う子ども」なんて、パッと見にはなんともありふれたタイトル。
内容も「秒速5センチメートル」みたいに繊細な感情に寄り添うような映画かと思ったら、まったく違うジュブナイル・ファンタジーだった。
秒速5センチメートル」しか観ていないのに、不覚にもあれが新海監督の真骨頂だと思った私たちの勘違い?
ああ、ジブリ映画とはまったく対極にある作風だと思っていたのに、こんどの映画はむしろ、ジブリ映画を追いかけている。
猫を肩に乗せた少女のたたずまいは明らかに「風の谷のナウシカ」だし、ジブリっぽい飛行船は出てくるし、少女が大切に持っている石は「天空の城ラピュタ」みたいだし、巨身兵とカオナシが一体になった化け物が出てくるかと思えば、「千と千尋の神隠し」の釜じいを若くして目を赤くしたような生き物も出てくる。
ジブリを追う新海。
でも、惜しいかな、ジブリほど完成された描写じゃない。
話の展開も何かゴツゴツしていて、やっぱりジブリ映画は滑らかだったなあと改めて認識してしまう。
少女が水面を逃げるシーンなんて、「千と千尋の神隠し」の海を渡る電車のシーンにも匹敵するくらい幻想的というか心象風景を表すいいシーンなんだけど、やっぱりひと押し足りない。
少女が冒険の旅に出る理由をぼかしているのが、いまひとつ乗りきれない理由かもしれないわね。もちろんわざとなんだけど。
・・・なあんて思いながら観ていたら、後半、明らかにジブリ映画とは違う様相を呈してくる。
あの少女の肩に乗っていた猫。あの猫があんな形で別れを告げるなんて、想像もできなかった。
そう、あのあたりから、生と死を巡る匂いが漂ってくる。
スクリーンの中のことばを借りれば、“喪失”と“祝福”の物語になってくる。
こういう時期だけに、実感を伴って迫ってくる。
ちゃんとそういう展開に落ちるように全体がじょうずに計算されていたようには見えないんだけど、“喪失”と“祝福”のシーンは、いま、この時期に、予想を超えた力を持ってしまった。
人は喪失を抱えて生きていかなくちゃいけない、みたいなことを言われると、この時期、心にガツンと残っちゃう。
重い。実に重い。
この映画からジブリの部分が“喪失”し、独自の映画として“祝福”されるべき瞬間になったという観方もできるかもしれないわね。
そのあと、映画は広げた物語をきちんと収束することなく終わってしまうんだけど、その乱暴さが何かの訪れを予感させてしまうところもあって、不思議な感触のまま、わりと平凡なラストを迎える。
秒速5センチメートル」からははるか遠く、「高波15メートル」を暗に感じさせるような映画だったわね。