【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「マチェーテ」

2010-11-22 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

一流の二流映画。
あるいは、A級のB級映画。
形容矛盾を承知で言うけど、よくできたアホ映画だったなあ。
最近でいえば「ゾンビランド」のような志を持った娯楽映画よね。
思いっきり映画の世界を楽しんであとはきれいさっぱり忘れてくれ、っていう映画なんだけど、その思い切りが良すぎて、忘れられない傑作になってしまった。
B級映画の教科書のような映画だもんね。
タイトル前の格闘シーンから、快調に、飛ばす、飛ばす、飛ばすに乗って。
…って、このブログのタイトルかい!
ロバート・ロドリゲス監督って、「グラインドハウス」仲間のクエンティン・タランティーノと一緒で、お行儀の良い映画を撮らせたら、実はとんでもないA級映画が撮れる技術を持った映画監督なんじゃないのか。
でも、それは彼の趣味じゃないから、あくまでストイックにB級映画に徹する。
その一途な姿勢には感服するばかり。
人間の腸をぶらさがる綱代わりにするとか、監視カメラの受像機が十字架になっているとか、おもしろくするためなら、これでもか、これでもかとアイデアを詰め込む、そのどん欲さ。
そうかと思うと、メキシコからの不法移民問題を題材にしていたりして、いま風の味付けも欠かさない。
闇の列車、光の旅」でアメリカに入ってきたような少女が、こういう組織の一員になるのかもしれないと思うと、単純なアクション映画でも、胸が痛む部分がある。
そういう虐げられた人々を救うための戦いという大義名分があるから、観客ものめりこんで応援できる。
でも、組織の病院にいる看護師はなぜかミニスカ。
ロバート・デ・ニーロが悪徳政治家を嬉々として演じていたりして、もうひっちゃかめっちゃか。
出世作の「ゴッドファーザーPARTⅡ」では移民の側を厳かに演じていたのに、最近はとんとシリアスな役をやらなくなった。
というか、できなくなった?
どういうわけか、コメディアンに近くなっちゃったもんね。
映画の最後は、続編のお知らせまであったりして。
それじゃ足りなくて、続々編のお知らせまである。
そのやりすぎ感がたまんない快感。
相当、まゆつばモンだけどね。
この映画自体、まゆつばから出来たようなもんだからな。
グラインドハウス」の中で流れる予告編だけの幻の映画だったはずだったのに、いつの間にか本編ができあがってた。
そのノリからして、いいかげんで好き。