【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「へヴンズストーリー」

2010-11-08 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

久しぶりに、思索する映画を観た。
“思索する”映画?
映画を作りながら、真理を求めて自問自答を繰り返していくような映画。
そんな言い方すると退屈そうだけど、4時間38分、スクリーンに引き込まれっぱなしだったわ。
親を殺された少女が復讐の思いを別の形で遂げていくっていう話が映画の柱になっているんだけど、観終わったあとの印象はそういう下世話な地点からはるか遠くにある。
復讐譚から始まって生死とか神の領域にまで及んで行くんだもんね。
この懐の広さは4時間38分という上映時間がなければ不可能だったと思わせるだけの磁力がここにはある。
序盤、中盤、終盤に人形芝居が出てくるけど、この物語はある意味、神話なんだよ、っていうことをひそやかに宣言しているんでしょうね。
たとえば青山真治監督の「ユリイカ」を思い出すような世界観。
人間たちの織り成すドラマとともにその舞台となる風景がまた、圧倒的な存在感で訴えかけてくる。
雪にうずもれた山の中の炭鉱町。かつては栄華を誇ったであろう団地群がいまは見る影もない廃墟として屹立している。
体温を奪いとられたような風景。
そんなこと知らないとばかり、夏になると鮮やかな緑が何ごともなかったように生い茂る。
その一方で、海ぎわに建ち並ぶ現代的な団地。
波しぶきが灰色のうねりとなってぬっぺりと生ぬるく吹きつける。
そういった対比の中で映画が進行するから、文明の来し方行く末まで考えてしまう。
繁栄ってなに?進歩ってなに?そこで行われている人間の営みなんて何も変わっていないんじゃないか。
繰り返されるのは、いらだち、憎悪、血の惨劇。
その象徴としての復讐劇と風景。
ああいう場所が日本にはまだまだあるのかしら。
よく探して来たもんだ。
ふらふら海を漂う船で行き来する島なんて、それこそ伝説の設定みたいだしね。
うん。現代の話なのに、どこか抽象的な物語のような気分が漂うのは、そういう道具立てとか世界の切り取り方とかにあるのかもしれない。
アップでじっと見つめる人物の撮り方とか、彼らを追う手持ちカメラの揺れ方とか、そこで何が起きようとしているのか丸ごとすくい取ろうっていう意気込みに、観ているほうが息苦しくなるくらい。
世界っていったい何だろう、って考える映画だから、答えなんて始めからない。思索する、そのこと自体が目的の映画。
いまどき、愚直にも見えるその冒険心は、胸が痛くなるほど感動的。
でも、腰も痛くなってきたから途中で抜けちゃだめかな。
ダメだと思います!