Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ロト/読響

2015年07月03日 | 音楽
 フランソワ=グザヴィエ・ロトの指揮する読響定期。ロトは1971年、フランス生まれ。今年44歳になる働き盛りだ。今年9月からはドイツのケルン市の音楽総監督(ケルン歌劇場の音楽総監督)に就任する。同歌劇場のホームページを見たら、ベルリオーズの「ベンヴェヌート・チェッリーニ」とモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」のそれぞれ新制作を振る予定が載っていた。

 読響定期で組んだプログラムは一筋縄ではいかないもの。先に曲目を書くと、ブーレーズの「ノタシオン」、ベルクのヴァイオリン協奏曲、ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」。

 時代は次第に過去へと遡り、演奏時間はだんだん長くなり、また、編成はだんだん小さくなる――そんな3本のベクトルが交錯するプログラムだ。

 まずブーレーズの「ノタシオン」。演奏は第1、7、4、3、2番の順。今まで聴いたこの曲の演奏はすべてこの順番だ。ロト/読響の演奏は今まで聴いたものとは位相がちがう高次元のもの。高音が明るくきらめき、この曲に特有の浮遊感が生きた演奏。例えていえば、ガラスが粉々に砕け散って、大気に舞うようなイメージだ。

 ステージいっぱいに並んだ巨大なオーケストラから、繊細きわまりない音のテクスチュアが広がる。弦は細かく分割され、木管、金管も各人独立した動きをする。打楽器の多彩な音色はいうまでもない。この曲がもつ音の鮮度のよさを改めて感じた。

 次はベルクのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏は郷古廉(ごうこ・すなお)。1993年生まれの若手だ。今はウィーンに留学中。数年前のラ・フォル・ジュルネで某若手ピアニストが同じくベルクのピアノ・ソナタを演奏した。あのときはガチガチに肩に力の入った演奏だった。今回の郷古廉は、そんなことはない。でも、まだ優等生的だ。

 最後はハイドンの「十字架上の……」。序奏から堂々とメリハリの利いた演奏が展開する。思わず目をみはった。以下7曲の各「ソナタ」は、緩徐楽章のサンプル集のようなものだが、1曲1曲のニュアンスが明瞭だ。

 第5のソナタは、キリストの言葉「わたしは、かわく」に対応する曲だ。水滴を想わせる弦のピツィカートが続く。その音が、聴こえるか、聴こえないかというくらいの最弱音で演奏された。全身が耳になった。小さな音の絶え間ない連続が忘れられない。晦冥の底から聴こえてくる雨粒のようだった。
(2015.7.1.サントリーホール)

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