Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

尾高忠明/N響

2023年02月06日 | 音楽
 尾高忠明指揮N響の定期演奏会。プログラムに尾高尚忠(尾高忠明の父)、パヌフニクそしてルトスワフスキの曲が並ぶ。尾高尚忠とパヌフニクは第二次世界大戦前のウィーン留学時代の親友だ。またパヌフニクとルトスワフスキはピアノ・デュオを組んだ親友だ。第二次世界大戦のため尾高尚忠とパヌフニクは日本とポーランドに分かれ、また戦後ポーランドの社会主義体制の抑圧を逃れてパヌフニクはイギリスに亡命したので、ポーランドに残ったルトスワフスキとは別れた。

 1曲目は尾高尚忠のチェロ協奏曲。1943年に書かれ、翌年初演された。まさに戦争の真最中だ。初演時のチェロ独奏は倉田高、指揮は尾高尚忠自身だった。今回のチェロ独奏は宮田大。倉田高の娘・倉田澄子の弟子だ。また今回の指揮者・尾高忠明はいうまでもなく尾高尚忠の息子だ。一聴衆にすぎないわたしも、戦争中に生まれたこの曲の、戦後78年たったいま、初演のときの独奏者の孫弟子と、作曲者の息子との共演による演奏というシチュエーションには、一種の感慨を覚えずにはいられなかった。

 演奏もすばらしかった。チェロは朗々と鳴り、オーケストラは引き締まって、この曲の真価を示そうと献身的な演奏を繰り広げた。とくに普段は自己を抑制しがちな尾高忠明が、自己を開放して、巨匠然と指揮したことが印象的だ。

 尾高尚忠というとフルート協奏曲がときどき演奏されるが、フルート協奏曲がフランス近代のテイストに日本風味を混ぜたような洒落た曲なのにたいして、初めて聴くチェロ協奏曲は、堂々たるロマン派音楽の風格があった。前述のように戦争の真最中の曲だが、戦争の暗い影とか、逆に妙に明るい曲想ではなくて、時代性を超越した音楽だった。

 気になる点としては、第1楽章の冒頭の、オーケストラの一撃の直後にチェロ独奏が始まる、その流れがサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番を思わせることと、第1楽章の終わり方がやや唐突に感じられたことくらいか。

 2曲目はパヌフニクの「カティンの墓碑銘」。尾高忠明の指揮で何度か聴いたことのある曲だが、今回は上記のようなプログラム・コンセプトで聴いたので、今まで以上に心のこもった演奏に聴こえた。その意外さもあって感動した。

 3曲目はルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」。最近はエッジの効いた鮮烈な演奏が生まれることのある曲なので、それにくらべると、音の運動性に鈍さを感じたことは否めない。その代わりといってはなんだが、バルトークの同名曲を彷彿とさせる響きが聴こえ(たとえば第3楽章の「コラール」の冒頭)、その点がおもしろかった。
(2023.2.5.NHKホール)

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