Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ」最終回

2011年07月14日 | 音楽
 旅の記録を書きたいと思っているが、その前に、昨日は東京シティ・フィルの定期を聴いたので、とりあえずその感想を。

 昨日の定期は、3月17日に予定されていた定期だ。東日本大震災の発生により「延期」された。当時は多くの演奏会が「中止」になるなかで、「延期」の対応をしたのは異色だった。そこには、社会状況が落ち着いたら、どうしてもこの演奏会をやりたい、という意気込みが感じられた。

 それもそのはずで、この演奏会は、昨シーズン、飯守泰次郎&東京シティ・フィルのコンビが続けた「ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ」の最終回だった。往年の名指揮者マルケヴィチの校訂版に取り組むことにより、自らのベートーヴェンの交響曲演奏をもう一度洗い直そうという試みだった。

 昨日の1曲目には「コリオラン」序曲が演奏された(これはマルケヴィチ版ではないが)。この曲からして、もう飯守さんの個性が全開だった。冒頭でずっしりした重厚な音が響いたときには、今どきこういう鳴らし方をする指揮者は少なくなった、と思った。それとは対照的に、第2テーマは、テンポを大きく落として、たゆたうように演奏された。昔の巨匠の演奏が連想され、飯守さんの晩年の様式が始まったのかと思った。

 もっとも、次の交響曲第2番になると、いつものきびきびした、インテンポの演奏に戻った。弦は12型になり、明るく、軽めの音で演奏された。実はわたしは若いころから、この曲の、とくに第1楽章が好きで、昨日も情熱のこもったその演奏に感動した。ただ、残念ながら、第2楽章以降は平板になった。

 最後は交響曲第5番「運命」。弦が14型に増えて「コリオラン」序曲と同様に重厚な音になり、堂々とした構築感があった。加えて、気合の入ったアタックが随所にあった。

 東京シティ・フィルは立派だった。いつものことながら、飯守さんの音楽を真正面から受け止め、それを表現しようという真摯な姿勢があった。在京オーケストラは数あれども、飯守さんの音楽を理解し、その表現に向けて努力を惜しまないのは、このオーケストラを措いて他にはないと思われた。

 昨日の演奏会もそうだったが、今シーズン進行中のチャイコフスキーの交響曲の連続演奏でも、わたしたちは、飯守さんの音楽の集大成に立ち会っているような気がする。昨日もそういうオーラが感じられた。
(2011.7.13.東京オペラシティ)

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