Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ベートーヴェン

2008年11月22日 | 音楽
 昨日は読響の定期に行った。読響は去年からオスモ・ヴァンスカの指揮でベートーヴェンの交響曲の全曲演奏を続けているが、昨日は次のようなプログラムが組まれた。
(1)ベートーヴェン:序曲「コリオラン」
(2)ベートーヴェン:交響曲第4番
(3)ベートーヴェン:序曲「命名祝日」
(4)ベートーヴェン:交響曲第8番
 4番と8番の組み合わせとは嬉しい。期待して出かけた。

 去年は仕事の関係でききそこなったので、ヴァンスカのベートーヴェンをきくのはこれが初めてだが、その演奏の特徴は4番によく表れていた。ひとことでいって、前へ前へとすすむ推進力が特徴だ。ダイナミックレンジを大きくとり、停滞せずに前進する。とくに第4楽章ではその特徴がよく出ていた。
 演奏の完成度の高さでは8番が上回っていた。音の明るさと輝きが増し、造形上の均衡がとれていた。これに比べると、4番はやや強引だったような気がする。その分、4番のほうがヴァンスカの演奏スタイルが分かりやすかったが、私は8番のほうをとる。

 近年、ベートーヴェンの演奏は多様化してきた。そうなった理由は、私の考えるところでは、ふたつある。ひとつは20世紀後半のピリオド楽器の隆盛だ。作曲当時の楽器を復元して、当時の演奏法を試みる動きが予想をこえて拡大し、あっという間にベートーヴェンにおよんだ。そのことが、かつての「偉大な」演奏を相対化した。
 もうひとつは、同じく20世紀後半のマーラー・ブームだ。闘争の末のみじめな敗北、人類愛よりも個人的な愛、論理的帰結としての和声の解決ではなく、終結を求めてあがいた末の天からの啓示としての解決、そのような構成原理はベートーヴェンとは根本的に異なり、時代の空気はマーラーに共振した。

 その結果、今はさまざまなベートーヴェン像が乱立している。ヴァンスカのベートーヴェンは古楽奏法をとりいれたものではないし、もちろん一時代前の重厚長大なものでもない。いわば第三の道だが、第三の道はたくさんあって、その一つにすぎない。私は昨日の演奏が気に入ったが、これが唯一無二の道だとも思わない。今はまだ多様化を受け入れて積極的に楽しむべき時期のような気がする。

 思えばかつてのベートーヴェン像は、3番、5番、7番、9番という奇数番号の交響曲をもとに形成されてきた。それが今、やや制度疲労をきたしているように感じられるから、偶数番号が面白いのかもしれない。2番、4番、8番の偶数番号には(6番は私にはちょっと分からないところがある)、音楽の枠の拡大にいどんだ奇数番号とは別のものがある。ベートーヴェンが生まれて青年期までをすごしたライン河畔の明るさ、伸びやかな感性、充足感、それが今の私には好ましい。
(2008.11.21.サントリーホール)

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