わたしが愛読しているブログに「クラシックおっかけ日記」(※)がある。数カ月前にそのブログでアダム・フィッシャー指揮デンマーク室内管のベートーヴェンの交響曲全集のCDが紹介された。そのCDはドイツの音楽賞「オープス・クラシック(OPUS KLASSIK)2020」の交響曲部門(19世紀音楽の部)を受賞したそうだ。ティーレマン指揮ドレスデン・シュターツカペレのシューマンの交響曲全集などのCDと競り勝ったので、どんな演奏かと、ナクソス・ミュージックライブラリー(NML)で聴いてみた。
全体を通してノンヴィブラート奏法で演奏されている。音を短く切り、アクセントが強い。強弱やテンポの変化が急激だ。隠れた声部の強調もみられる。一言でいえばピリオド・スタイルの演奏なのだが、それ以上にアダム・フィッシャーのやりたいことが徹底された演奏と感じる。指揮者の意図がオーケストラに徹底されると、これほどまでに筋の通った演奏になるのかと、啓示を受けたような気がした。
全9曲の中でどれか1曲選ぶとすれば第8番だ。どの部分をとっても、音のベクトルが揃っている。第2楽章ではベートーヴェンが仕掛けたユーモアが全開だ。もっとも、演奏とは関係ないことだが、ひとつ問題がある。CDの編集上のミスで、第3楽章のトラックの終わりに第4楽章の頭が少し入っている。最初聴いたときには、ぎょっとした。
その他の曲では、第6番「田園」の第3楽章が、複合三部形式の中間部で、弦の主題が独特のアーティキュレーションで演奏されている。武骨な農民たちの踊りを彷彿とさせる。また第9番「合唱付き」の第1楽章第1主題が、音を短く切って、明確な方向性をもって演奏されるので、神秘的な雰囲気が消え、むしろ決然たる音楽になっている。ベートーヴェンが想定した音楽はこうだったかもしれないと、ふと思う。
アダム・フィッシャーは、デンマーク室内管の首席指揮者を務めるとともに、デユッセルドルフ響の首席指揮者も務めている。そのデユッセルドルフ響と録音したマーラーの交響曲第3番が、前年の「オープス・クラシック2019」の同部門を受賞している。アダム・フィッシャーは(異なるオーケストラで)2年連続で同賞を受賞したわけだ。そのマーラーのCDも聴いてみた。
正直にいうと、最初は戸惑った。デンマーク室内管とのベートーヴェンが、ピリオド様式の尖った演奏なのにたいして、デユッセルドルフ響とのマーラーは、オーソドックスで安定した演奏だ。もう一度聴いてみて、やっとよさがわかった。この演奏はオーケストラをバランスよく鳴らした点に最大の特徴がある。くわえてアーティキュレーションに曖昧さがなく、自然な呼吸感を失わない。実演でこの演奏を聴いたら、オーケストラの充実ぶりに驚くだろう。それにしても対照的な演奏スタイルを使い分けるアダム・フィッシャーに驚嘆する。
(※)「クラシックおっかけ日記」
全体を通してノンヴィブラート奏法で演奏されている。音を短く切り、アクセントが強い。強弱やテンポの変化が急激だ。隠れた声部の強調もみられる。一言でいえばピリオド・スタイルの演奏なのだが、それ以上にアダム・フィッシャーのやりたいことが徹底された演奏と感じる。指揮者の意図がオーケストラに徹底されると、これほどまでに筋の通った演奏になるのかと、啓示を受けたような気がした。
全9曲の中でどれか1曲選ぶとすれば第8番だ。どの部分をとっても、音のベクトルが揃っている。第2楽章ではベートーヴェンが仕掛けたユーモアが全開だ。もっとも、演奏とは関係ないことだが、ひとつ問題がある。CDの編集上のミスで、第3楽章のトラックの終わりに第4楽章の頭が少し入っている。最初聴いたときには、ぎょっとした。
その他の曲では、第6番「田園」の第3楽章が、複合三部形式の中間部で、弦の主題が独特のアーティキュレーションで演奏されている。武骨な農民たちの踊りを彷彿とさせる。また第9番「合唱付き」の第1楽章第1主題が、音を短く切って、明確な方向性をもって演奏されるので、神秘的な雰囲気が消え、むしろ決然たる音楽になっている。ベートーヴェンが想定した音楽はこうだったかもしれないと、ふと思う。
アダム・フィッシャーは、デンマーク室内管の首席指揮者を務めるとともに、デユッセルドルフ響の首席指揮者も務めている。そのデユッセルドルフ響と録音したマーラーの交響曲第3番が、前年の「オープス・クラシック2019」の同部門を受賞している。アダム・フィッシャーは(異なるオーケストラで)2年連続で同賞を受賞したわけだ。そのマーラーのCDも聴いてみた。
正直にいうと、最初は戸惑った。デンマーク室内管とのベートーヴェンが、ピリオド様式の尖った演奏なのにたいして、デユッセルドルフ響とのマーラーは、オーソドックスで安定した演奏だ。もう一度聴いてみて、やっとよさがわかった。この演奏はオーケストラをバランスよく鳴らした点に最大の特徴がある。くわえてアーティキュレーションに曖昧さがなく、自然な呼吸感を失わない。実演でこの演奏を聴いたら、オーケストラの充実ぶりに驚くだろう。それにしても対照的な演奏スタイルを使い分けるアダム・フィッシャーに驚嘆する。
(※)「クラシックおっかけ日記」
先日、茂木大輔さんの新著を読みましたが、そこにアダム・フィッシャーとN響のトラブルのことが書いてありました。アダム・フィッシャーのCDを聴くと、N響にも問題があると感じてしまいます。