Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

インバル&都響(Aシリーズ)

2011年05月19日 | 音楽
 インバル&都響の5月定期Aシリーズ。1曲目はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。ヴァイオリン独奏はアメリカの若い奏者ブラッハ・マルキン。もう少し朗々と鳴るとよいと思った。演奏も、きっちり弾いてはいるが、おとなしめだった。残念ながら、楽章を追うにしたがって、気持ちが離れてしまった。

 オーケストラは面白かった。くすんだ色合いの、地味なオーケストラ伴奏部だが、そこになんともいえない面白さがあった。なんといったらよいだろう。地味ななかにも意外に変化がある、といったらよいか。あるいは、巧まざるユーモアが醸し出される、といったらよいか。

 その色合い、あるいは面白さは、2曲目のブルックナーでも同じだった。交響曲第2番。冒頭のチェロによる第1主題が、くっきりとクレッシェンドが付けられ、いかにもインバルらしく感じられた。そのメロディーラインが、全体のなかにしっくり収まっているのが注目された。

 今までは、インバルのブルックナーは、アクセントを強く付け、アグレッシヴな印象があったが、今回は穏やかな味わいを保っていた。ブルックナーの演奏についての、インバルとオーケストラの相互理解が進んだのか。もう一つ考えられることは、今までは初稿を使うことがあったので、(初稿の)尖った部分を強調していた、という要因があったかもしれない。

 今回はノヴァーク/第2稿・1877年版。わたしなどがいうまでもないことだが、第2番の場合は、一筋縄ではいかない。第2稿といっても、初稿(1872年版が初稿と呼ばれている。では、楽章構成をふくめて、大きく改訂された1873年版は、どういう位置付けになるのだろう。)の一部が「省略可能」記号付きで残されていて、事実上、演奏するか否かは、指揮者に委ねられている。今回は、第4楽章末尾の、第1楽章第1主題などの回想は演奏されていた。もちろんこれは一般的なやり方。

 それにしても第2番は、ブルックナーのやりたいことが、この曲で全部出揃ったという意味で、ひじょうに聴き応えがある。ブルックナーは以後、大家としての雄弁な話法を究めていくわけだ。もちろんその道は(改訂につぐ改訂で)平坦ではなかったが。

 インバル&都響は、マーラーでは色彩豊かな演奏を聴かせるが、ブルックナーではモノトーンな音色で演奏するのが面白い。ドイツのどこかのオーケストラが演奏しているような感じがした。
(2011.5.18.東京文化会館)

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