北とぴあ国際音楽祭2012でモリエールの喜劇「病は気から」が上演された。モリエール最後の作品。1673年2月10日に初演され、モリエールも主役で出演した。ところが4回目の公演中にモリエールが倒れ、そのまま亡くなった。
この作品にはマルカントワーヌ・シャルパンティエが音楽を付けている。モリエールの時代には演劇と音楽とダンスが不可分に結びついていて、音楽が付くことは当たり前だった。モリエールは長らくリュリと組んでいたが(その代表作が「町人貴族」だ)、いろいろと事情があって、「病は気から」では新進作曲家シャルパンティエを起用した。
こうして生まれたこの作品が、今回そのシャルパンティエの音楽付きで上演された。指揮は寺神戸亮さん。寺神戸さんは1990年パリ・シャトレ劇場でのウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサンによるこの作品の公演にコンサートマスターとして参加したそうだ。当時レザール・フロリサンはリュリ、シャルパンティエ、ラモーなどの作品を立て続けに復活上演していたが、そのなかでも印象深い作品がこの「病は気から」とリュリの「アティス」だったそうだ(当日のプログラムより)。
寺神戸さんのこのような経験があってはじめて実現したこの公演、セミ・ステージ形式なのでダンスは省かれていたが、演劇と音楽が拮抗したその作品は、ひじょうにモダンな感じがした。
演劇と音楽(とダンス)が行ったり来たりするこの時代の作品は、ものすごく豊かな可能性を秘めていたのではないか、と思った。その後オペラが主導権を握ったので、こういう作品は出てこなくなったが、今から見ると、多くのヒントがありそうだ。
演奏はレ・ボレアード。この音楽祭で生まれたピリオド楽器のオーケストラと合唱だ。オランダ人のコンサートマスターが招かれていた。フランス人のソプラノ歌手とチリ人のテノール歌手は新顔。日本人歌手は、いつものベテラン歌手が健在だが、若手歌手も台頭していた。
演劇部分はSPAC‐静岡県舞台芸術センターが担当した。SPACは10月下旬から11月上旬に本拠地で公演し、それを持ち込んだ。さすがに面白い。潤色(脚本作成)はノゾエ征爾さん、ステージング(演出などの舞台構成)は宮城聰さん(鈴木忠志さんの後を継いだ現SPAC芸術総監督)。幕切れはモリエールがこの作品の公演中に倒れたエピソードに引っかけて場内爆笑だった。
(2012.11.23.北とぴあ)
この作品にはマルカントワーヌ・シャルパンティエが音楽を付けている。モリエールの時代には演劇と音楽とダンスが不可分に結びついていて、音楽が付くことは当たり前だった。モリエールは長らくリュリと組んでいたが(その代表作が「町人貴族」だ)、いろいろと事情があって、「病は気から」では新進作曲家シャルパンティエを起用した。
こうして生まれたこの作品が、今回そのシャルパンティエの音楽付きで上演された。指揮は寺神戸亮さん。寺神戸さんは1990年パリ・シャトレ劇場でのウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサンによるこの作品の公演にコンサートマスターとして参加したそうだ。当時レザール・フロリサンはリュリ、シャルパンティエ、ラモーなどの作品を立て続けに復活上演していたが、そのなかでも印象深い作品がこの「病は気から」とリュリの「アティス」だったそうだ(当日のプログラムより)。
寺神戸さんのこのような経験があってはじめて実現したこの公演、セミ・ステージ形式なのでダンスは省かれていたが、演劇と音楽が拮抗したその作品は、ひじょうにモダンな感じがした。
演劇と音楽(とダンス)が行ったり来たりするこの時代の作品は、ものすごく豊かな可能性を秘めていたのではないか、と思った。その後オペラが主導権を握ったので、こういう作品は出てこなくなったが、今から見ると、多くのヒントがありそうだ。
演奏はレ・ボレアード。この音楽祭で生まれたピリオド楽器のオーケストラと合唱だ。オランダ人のコンサートマスターが招かれていた。フランス人のソプラノ歌手とチリ人のテノール歌手は新顔。日本人歌手は、いつものベテラン歌手が健在だが、若手歌手も台頭していた。
演劇部分はSPAC‐静岡県舞台芸術センターが担当した。SPACは10月下旬から11月上旬に本拠地で公演し、それを持ち込んだ。さすがに面白い。潤色(脚本作成)はノゾエ征爾さん、ステージング(演出などの舞台構成)は宮城聰さん(鈴木忠志さんの後を継いだ現SPAC芸術総監督)。幕切れはモリエールがこの作品の公演中に倒れたエピソードに引っかけて場内爆笑だった。
(2012.11.23.北とぴあ)