Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/読響

2012年05月11日 | 音楽
 下野竜也/読響の「ドヴォルザーク交響曲シリーズ」完結編。地味な企画だが、よく続けてきたものだ。オーケストラ側の懐の深さだ。同時に、下野竜也さんの指揮に説得力があったからできたことでもある。今回の交響曲第2番も見事な演奏だった。

 演奏順とは逆だが、まずはその交響曲第2番から。全4楽章からなる堂々とした曲だ。第1番「ズロニツェの鐘」を書いた直後に書かれた。1865年、ドヴォルザーク24歳の年だ。「ズロニツェの鐘」もこのシリーズで演奏された。その記憶が鮮明だ。若さの気負いが感じられる曲だった。それに比べると、第2番は伸びやかな曲だ。たしかに満津岡信育(まつおか・のぶやす)氏のプログラムノーツにあるように、リストやワーグナーの影響があるだろうが、それは主に「和声の進行や主題の設定など」の面だ。曲から放射される情緒は、若さに相応しく清新だ。

 下野さんの指揮は、句読点のはっきりした、明晰な指揮だった。あるフレーズの頭の音をどう鳴らすか、どの音にピークをもっていくか、結尾の音をどう鳴らすか、そして新たなフレーズが入ってくるときの、その入り方をどうするか――そういった点に一切の曖昧さがない指揮だ。

 読響の演奏も見事だった。機能的な優秀さはいうに及ばず、音の瑞々しさが惚れ惚れするほどだ。今のこのオーケストラの美質が十分に表れた演奏だ。

 地味な企画だったが、ドヴォルザークの交響曲を全曲演奏した経験は、指揮者はもちろん、オーケストラにも大きな財産になったのではないかと思う。これによって、たとえば第9番「新世界より」の見えかたも、少し変わってくるのではないか。それは聴衆も同じだ。我が身をかえりみて、そう思う。

 下野さんは、デビュー当時はシューマンとヒンデミットを二本柱にし、さらに読響の正指揮者に就いてからはドヴォルザークを加えた。そのいずれにも成果を出している。そして今度はアリベルト・ライマンだ。期待が膨らむ。

 前半にはブラームスのヴァイオリン協奏曲が演奏された。独奏はハンガリーの若手クリストフ・バラーティ。リズムが粘らずに進む、サクサク系の奏者だ。楽器はストラディヴァリウス。細めの音だ。巨匠風にたっぷり鳴らずタイプではない。このようなタイプも嫌いではないが、音楽が充実してくるまでには、もう少し待たなければならないようだ。アンコールにエルンストの「シューベルトの《魔王》による大奇想曲」が演奏された。
(2012.5.10.サントリーホール)

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