Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パリ:画家マティス

2010年12月01日 | 音楽
 最終日はパリに移動して、ヒンデミットのオペラ「画家マティス」をみた。

 マティスは20世紀フランスの画家ではなく、ドイツ・ルネッサンスの画家。没後、忘れ去られ、その後マティアス・グリューネヴァルトという名で知られるようになった。20世紀に入ってからこれは誤りだったことが判明。正しくはMathis Gothart Neithart。

 デューラーやクラナッハと同時代人だ。マインツ大司教につかえたものの、教会や領主に立ち向かった農民戦争のさいにルター派につき、職を追われた。以後、絵筆を折って人知れず生きた。

 ヒンデミットは「イーゼンハイム祭壇画」などの諸作品をみて感銘を受け、さらにはその生涯に自らの境遇を重ね合わせて、自ら台本をかいた。作曲は1934年。当時のドイツではナチスが猛威をふるい、ヒンデミットは迫害されていた。オペラには焚書の場面が出てくるが、これは1933年に起きたナチスの焚書事件を想起させる。

 このオペラにまつわる「ヒンデミット事件」については、多言を要さないだろう。ナチスに抗してヒンデミットを擁護した指揮者フルトヴェングラーの論文は、今でも「音と言葉」のなかで読める。

 オペラの幕切れで、現実に苦悩するマティスは、農民戦争の旗を捨て、完成したばかりの絵を捨て、愛のかたみのリボンを捨てる。すべてを失ったマティスの姿は、当時のヒンデミットの心境を伝えるものだ。

 ヒンデミットに特徴的な線的書法が、このオペラでも顕著だ。随所で音楽が自らの論理で動きだし、止めようのない運動体となって進んでいく。その一方では、他の作品ではあまり記憶にないが、荘重な音楽がある。全7景で構成され、そのほとんどが荘重な音楽で閉じられている。全体的には、エモーショナルな音楽ではないが、張りつめた緊張感がある。ヒンデミットとしてもこれは当時でなければ書けなかった音楽だ。

 指揮はエッシェンバッハ。線的な部分の押しの強さもさることながら、各景を閉じる荘重な音楽に強い思い入れが感じられた。マティスを歌ったのは名バリトンのマティアス・ゲルネ。苦悩を内に秘め、それにじっと耐える表現が見事だった。

 演出はフランス人のオリヴィエ・ピィOlivier Py。各景をそれぞれ特徴的に描き分ける手法をとっていた。たとえば前奏曲ではダンサーが登場し、その踊りが「イーゼンハイム祭壇画」を模した構図に収斂したのには驚いた。上記の焚書の場面(第3景)ではナチスの親衛隊が跋扈して、暗い歴史を思い出させた。最後の第7景では無数のろうそくが美しく灯っていた。
(2010.11.22.バスティーユ歌劇場)

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