Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

フィデリオ

2018年05月25日 | 音楽
 新国立劇場の「フィデリオ」は、終演後(予想通りというべきか)ブーイングが飛んだが、わたしは面白かった。今まで観た「フィデリオ」の中で一番面白いと思った。その理由をまず書きたい。

 「フィデリオ」の台本で一番ひっかかる箇所は、刑務所長ドン・ピツァロが地下牢に下りて行き、フロレスタンをナイフで刺し殺そうとした時、大臣ドン・フェルナンドの到来を告げるラッパが鳴り、ピツァロはそれを聞くと、フロレスタンをほったらかして、大臣を迎えに出る箇所だ。

 生きていると(ピツァロにとって)もっとも危険なはずのフロレスタンを、ピツァロはなぜ殺さなかったのか。ピツァロはそんなに間抜けなのか。そんなに間抜けだったら、政敵フロレスタンを地下牢に閉じ込めて、用意周到に衰弱死させようとした今までのピツァロは、いったいなんだったのか。

 フロレスタンの妻レオノーレが男装してフィデリオと名のり、だれもそれを見破れないという設定は、オペラとしての約束事だから、それはそれでよい。またフロレスタンが殺されそうになるまさにその危機一髪を、大臣の到来というデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)が救うのもよい。だが、上記の箇所は、なんとも弁明のしようがない。

 演出のカタリーナ・ワーグナーとドラマトゥルクのダニエル・ウェーバーは、その個所を見つめ、かれらなりの答えを出した。それが面白い。なにもしないで台本をなぞるより、よほど刺激的だ。その答えはむしろ問題提起と思ったほうがよいかもしれない。わたしたちに台本を見つめさせ、自分ならどうする、と考えさせる。

 その演出とも関連するが、今回の上演では、序曲は「フィデリオ」序曲が使われ、大臣登場の場面の直前に「レオノーレ」第3番が挿入される形をとった。この形だと「レオノーレ」第3番でオペラの筋をもう一度おさらいすることになり、通常ならそれが難点だが、今回は「レオノーレ」第3番の演奏中にも舞台上でドラマが進行し、停滞しなかった。

 飯守泰次郎の指揮は、「フィデリオ」序曲ではリズムが平板で情けない音に終始し、第1幕に入ってからも単調だったが、第2幕では起伏が生まれ、フィナーレでは合唱の力に助けられた。任期満了の有終の美を飾れてよかった。

 歌手はステファン・グールドのフロレスタン、リカルダ・メルベートのレオノーレ、ともにパワーがあり、最後は圧倒的だった。
(2018.5.24.新国立劇場)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 下野竜也/都響 | トップ | ヘンリー五世 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽」カテゴリの最新記事