Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ヴィト/都響

2018年09月07日 | 音楽
 未明に北海道胆振地方で大地震があった。その後の続報で最大震度7とのこと。地崩れを起こした山並みが赤茶けた山肌をむき出しにしている。停電や断水のニュースも入ってくる。被災者のことを思うと気が引けたが、夜は予定通り都響の定期へ。

 指揮はアントニ・ヴィト。日本のオーケストラをいくつか振っているが、都響定期は初登場のようだ。1曲目はワーグナーの序曲「ポローニア」。ワーグナー若書きの曲。珍曲だと思っていたが、意欲作といったほうがよいかもしれない。さすがにワーグナー、人々を熱狂させる力と大衆性がある。

 ヴィトは暗譜で振っていた。これにも驚いた。ちなみにポローニアとは「ラテン語あるいはイタリア語で「ポーランド」という意味。しかもポーランド語では、祖国を去って外国へ移住・亡命することとなったポーランド人も指す。」(小宮正安氏のプログラム・ノート)。ポーランドの名匠ヴィトの名刺代わりの曲か。

 演奏は、弦の音に厚みがあり、管には切れ味があって、目が覚めるような快演だった。今日の都響は好調だと思った。

 2曲目はショパンのピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏はシャルル・リシャール=アムランという人。ピアノの音が、くすんだような、艶消しの音に聴こえた。どこのピアノだろうと思って、演奏終了後に見に行ったら、YAMAHAだった。

 演奏そのものは、甘く切ないショパンではなく、どこかマイペースだった。第3楽章など、ニュアンス濃やかな演奏なのだが、聴衆とのコミュニケーションは念頭になく、自分の世界に浸っているような感があった。アンコールにショパンのノクターン第20番(遺作)が弾かれた。それもよかったのだが、同様の感が拭えなかった。

 3曲目はルトスワフスキの交響曲第3番。ルトスワフスキの傑作の一つだが、その真価を明らかにする鮮烈な名演だった。ワーグナーのときに感じた弦の厚みと管の切れ味のよさとがさらにパワーアップし、打楽器を交えたオーケストラ全体が、くっきりした明暗のコントラストをつけて鳴り響いた。

 ルトスワフスキの代名詞となった「管理された偶然性」が全開だが、それが少しも古びた感じがしない。ルトスワフスキにとっては必然性のある手法だったのだと納得できたことが嬉しかった。曲の終盤ではっきりと調性的な音に収斂していくときの、その表現力の凄まじさ!
(2018.9.6.サントリーホール)

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