Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ピーター・グライムズ

2012年10月09日 | 音楽
 新国立劇場の「ピーター・グライムズ」を観た。幕が開いてすぐに「これはよくできた舞台だ」と思った。なにがそう思わせるのか、一言でいうのは難しいが、演出の彫りの深さ、歌手の動きと音楽的な水準、オーケストラのやる気――そういったことがあいまって、「焦点が合った」舞台が生まれるときに、そう思うのではないだろうか。

 だから今回は、演出と歌手と合唱と、さらには指揮者とオーケストラと、もっといえば舞台美術と照明と、それらすべてが混然一体となった総合力の成果だ。演出はよかったけれども歌手が――とか、歌手はよかったけれどもオーケストラが――とか、その手の批評めいた感想を生む余地のない舞台だった。

 細かいことは一切省いて、幕切れで感じたことを書くと――、バルストロードに引導を渡されたピーター・グライムズが(このとき音楽はピタッと止まって、バルストロードの言葉は台詞となる)、舞台を去り、そっと幕が下りる。幕前で佇むエレン。夜明けの海を描写した第1間奏曲が戻ってくる。このときわたしの中には「なにか取り返しのつかないことが起こってしまった」という感情がこみ上げてきた。それまでのドラマが的確に語られていた証左だろう。

 ウィリー・デッカーの演出はいくつか観たが、そのすべてと同様に、これも「本質のみを語れ」といっているような演出だ。本質(今回は社会による個人の抑圧)に一直線にむかっている。余計なことには目もくれない、というか、徹底的に削ぎ落としている。きわめて求心的な演出だ。

 ――と、本当はこれで止めておけばいいのだが、あえて正直にいうと、レンタルのプロダクションの場合(今回はベルギー王立モネ劇場からのレンタル)、品質はひじょうに良いが、「創造の喜び」に与ることはできない。そこに限界があると思った。

 ピーター・グライムズを歌ったのはスチュアート・スケルトン。パワーといい、繊細さといい、すばらしい。このような言い方は軽率かもしれないが、実感としていうと、今、世界一のピーター・グライムズではないかと思った。

 指揮はリチャード・アームストロング。東京フィルから熱いドラマを引き出していた。はっきりいって、いつものシラーッと澄ましたところがないのが、嬉しい驚きだった。

 合唱のすばらしさはいうまでもない。いつものパワーと精確さに加えて、演技の面でも積極的にドラマに関与していた。
(2012.10.5.新国立劇場)

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