Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

N響の5月定期(Cプロ)

2009年05月18日 | 音楽
 この数年間、N響の5月定期の指揮者には尾高忠明さんが迎えられている。今年もそうで、プログラムは十八番のエルガーだった。
(1)エルガー:チェロ協奏曲(チェロ独奏:ロバート・コーエン)
(2)エルガー:交響曲第2番

 チェロ協奏曲は、おそらく多くの人がそうだろうが、私も亡きジャクリーヌ・デユ・プレの全身を没入した演奏が強く印象に残っている。それに比べて、この日のイギリスの中堅チェロ奏者ロバート・コーエンは、もっと余裕をもった演奏だった。
 思えばこの曲は、エルガーのオーケストラ作品の最後の大作になったわけで、そのような生涯の中での位置づけや、どことなくうつむき加減の曲想、あるいはオーケストラ書法の薄さなどの点で、ブラームスの晩年のヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲に似たところがある。そう考えたら、デユ・プレの思いつめたような演奏よりも、淡々としたこの演奏のほうが、曲の本質に即しているような気がしてきた。

 交響曲第2番は、霧のいくつもの層が重なり合って流れ、その濃淡を絶えず変化させながら、あるときは霧が晴れて太陽が輝き、またあるときは深い霧があたりを包むというような曲想をもつが、尾高さんはその流動的な曲想をバランスよく表現していた。N響の演奏能力もさすがに優秀だ。
 この曲は、曲の説明では必ず言及されるように、イギリス国王エドワード7世に捧げるつもりでかきはじめられ、作曲途中で国王が崩御されたので、亡き国王の追悼のために捧げられたわけだが、それは事実だとしても、重層的な音の向こうには、一面的には割り切れないもっと個人的な何かがあるように感じられた。

 それから数日たったが、プログラムにのっている藤田茂さんの曲目解説をよんでみた。それによると、この曲のスコアの最後には「ヴェニス‐ティンタジェル」という記載があり、ヴェニスはイタリアのあのヴェニスで、エルガーはそこでアイディアを得たとのことだが、ティンタジェルについては、次のような場所とのことだった。
 「一方のティンタジェルは、秘密の想い人、ワートリー夫人との思い出の場所であり、この曲の甘美さの一端は彼女に負っているのかもしれない。暗号を趣味にしていたエルガー一流の謎かけである。」

 ワートリー夫人がどういう人かは分からないが、愛妻家として知られているエルガーにもそういうことがあったのか、でも、人間だから、あって当然だし、そのほうが理解しやすいと思った。エルガーは立身出世して成功した人生を送った人だが、そういう人にも口にはいえない何かがあり、それが音楽に秘められている――そうかもしれない。
(2009.05.15.NHKホール)

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