Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

スカイライト

2018年12月18日 | 演劇
 イギリスの劇作家デイヴィッド・ヘア(1947‐)の「スカイライト」(1995年初演)を観た。場所はロンドンの場末のアパート。キラの住む部屋にトムが訪れる。キラとトムは3年前まで不倫関係にあったが、それをトムの妻に知られ、キラは姿を消した。その後、トムの妻は病気で亡くなった。キラを忘れられないトムはキラの部屋を訪れた――。

 本作は初演当時ローレンス・オリヴィエ賞の最優秀新作演劇賞を受賞。2015年にはトニー賞のベスト・リバイバル賞を受賞した。英米で高く評価されている作品。日本では1997年にパルコ劇場で上演された。

 とにかく台詞の量が膨大だ。第1幕80分、第2幕65分の間、山のような台詞が語られる。それは音楽のようでもある。ある一つの音が鳴ると、あっという間に無数の音が後に続き、巨大な波のように高まる。それが静まると、別の音が生まれて、それがまた巨大な波のように高まる。それが何度も繰り返される。

 それらの台詞を聴くうちに、キラとトムの間にあったことが「ジクソーパズルを一片ずつ埋めていく」ように(プログラムに掲載された原田規梭子氏のエッセイより引用)明らかになっていく。キラとトム(=女と男)の容赦ない戦い。そこには一種の普遍性がある。

 だが、一方では、その戦いの背景に当時のロンドンの社会状況や地域性がひそんでいる面もある。その反映が色濃い分だけ、今の日本で本作を観るわたしには、その面に十分には触れ得ないもどかしさが残った。

 思えば、先月上演されたハロルド・ピンター(1930‐2008)の「誰もいない国」(1975年初演)にも、ロンドンの社会を反映した面があった。どちらも鋭い社会批評であり、当時のロンドンの状況と正面から向き合った作品だが、では、日本はどうなのか。今の日本と真っ向から切り結んだ作品を観たいと思った。

 キラを演じた蒼井優が好演。滑舌の良さとか、体のキレとか、繊細さとか、そのどれをとってもすばらしく、またそれ以上にキラという(人生を全力で生きているような)人物になりきっていた。わたしにとっては永遠のキラだ。一方、トムを演じた浅野雅博は、わたしには善人すぎるように思われた。もう一人、トムの息子のエドワードが出てくるが、それを演じた葉山奨之はこれからの人。

 膨大な台本を読みこんだ小川絵梨子の演出は見事だと思った。
(2018.12.17.新国立劇場小劇場)
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