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Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

網野善彦「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」

2018年10月02日 | 読書
 宮本常一の「忘れられた日本人」を読んで、わたしはその広大な世界に惹かれたが、実は読んだ直後は明確につかむことができなかった。漠然とではあるが惹かれた、というのが正直なところ。そこで網野善彦の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」を読んでみた。これまた大変おもしろかったが、十分には理解できなかった。

 その後、宮本常一の「塩の道」を読み、そして「日本文化の形成」を読んだとき、わたしは網野善彦の前掲書をもう一度読む準備ができたように感じた。前回には不十分な理解しかできなかった点が、今度はもう少し理解できそうに思った。

 その点は何かというと、縄文人、弥生人そして倭人はどういう人々か、どこから来たのか、そして日本はどのように形成されたのか、という壮大な問題。さらにそれが被差別とは何かという問題に結びつくことに惹かれた。宮本常一の推論、そしてそれを敷衍した網野善彦の推論に、目から鱗が落ちる思いがした。

 わたしはかなり興奮していたので、友人との読書会で話そうとした。だが、わたしが二言三言いうと、友人はすでに十分知っていた。わたしは脱帽した。友人は宮本常一の「日本文化…」も網野善彦の「…読む」も未読のようなので、他の書物で知ったのか。それとも常識だろうか。

 でも、わたしには新鮮な知識だった。仕入れたばかりのそれらの知識を、今ここで受け売りしても仕方がないので、一切省略するが、ともかく縄文人や弥生人が朝鮮半島南端から日本列島に渡来し、また縄文人がサハリンを経由して大陸と往来するダイナミックな姿に胸を躍らせた。

 だが、そんな感想は抽象的かもしれないので、網野善彦が本書で引用している地図を紹介したい。それは富山県が作成した「環日本海諸国図」というもの。通常の日本地図を逆さにして、大陸側から日本列島を見た地図。それを見ると、古代の人々の活発な往来が実感できる(なお画像掲載のためには同県の許諾が必要なので、末尾にリンクを貼るにとどめる)。(※)

 本書は網野善彦が1999年に4回にわたって岩波書店でおこなった講演の記録。一般市民が対象なのでわかりやすい。著名な歴史学者であった同氏は2004年に亡くなったので、最後の仕事の一つになった。宮本常一は1981年に亡くなっている。その業績の全貌を見据えた上での講演だ。

 優れた学者二人の(著作を通じた)最後の対話が、高潔で尊く感じられた。

(※)環日本海諸国図(富山県庁のHP)
コメント (2)
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