Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アラン・ギルバート/都響

2018年07月23日 | 音楽
 アラン・ギルバート指揮都響のもう一つのプログラムは、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンスそしてガーシュウィンの「パリのアメリカ人」というもの。一見して名曲路線のサマーコンサートのようなプログラムだが、演奏は本格的で、けっして軽い、くつろいだものではなかった。

 「新世界より」では、ギルバート持ち前の大柄でダイナミックな演奏に加えて、ニュアンスの豊かさが全編にわたって印象に残った。細かなフレージング、微妙な抑揚、主旋律の陰に隠れた音型の抽出など、芸の細かさを併せ持った指揮者であることがよく出ていた。

 一例をあげるなら、第3楽章スケルツォのトリオの旋律「タ・タンタタ タンタタ ターン/タ・タンタタ タンタタ ターン」の、前半部分は普通に演奏されたが、後半部分はレガートをかけて、優しく慰撫するように演奏された。そのため、後半部分が前半部分の応答のように聴こえた。

 全体的にはスケールの大きな名演、しかも普段の都響よりパワーアップした名演になった。

 「ウェストサイド・ストーリー」のシンフォニック・ダンスでも、ダイナミックでスリリングな演奏が展開したが、同時にけっしてアメリカ的なノリだけではなく、丁寧なアンサンブルに配慮された演奏でもあった。なお、例のマンボ!は、アメリカでは聴衆もマンボ!と叫ぶのが恒例になっていると、あるコンサートのプレトークで聞いたことがあるが、ギルバートも聴衆を促すように振り返ったような気がする。残念ながらわたしは声が出なかったが。

 昔話で申し訳ないが、わたしは高校生か大学生の頃(今から40~50年前のこと)、若き日の小澤征爾がこの曲を振るのを聴きに行った(オーケストラは日本フィル)。そのときのドラム奏者はジャズ・ドラマーの石川晶だった。わたしはそのドラム演奏に痺れた。わたしも吹奏楽でパーカッションをやっていたので、その凄さがよく分かった。

 一方、「パリのアメリカ人」は「ウェストサイド・ストーリー」に比べると、ずいぶん長閑に聴こえた。「ウェストサイド・ストーリー」を聴いた後なので、余計にそう思ったのだろう。

 カーテンコールの最後に、楽員が聴衆のほうを向くかどうかで、戸惑っている様子なのが可笑しかった。7月15日・16日のカーテンコールの余韻だろうか。
(2018.7.21.東京芸術劇場)

(追記)
 本文に書けばよかったが、以上の3曲はいずれもニューヨーク・フィルが初演した曲。同フィルの音楽監督を8シーズン務めたギルバートの名刺代わりのプログラムだった。
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