カリエール展の会期末が迫ってきた。2006年の「ロダンとカリエール」展には行けなかったので、今回はぜひ見ておきたいと思って出かけた。会期末が迫っている割には、それほど混んではいなかった。
ウジェーヌ・カリエール(1849‐1906)。セピア色の靄がかかったような独特の画面の画家だ。あの画面はどこから来たのだろう。いつ頃からそういう画面になったのだろう。最初はどんな画風だったのだろう。そんな興味を抱いて行った。
最初期の作品「自画像」(1872)は、輪郭がはっきりしていて、明るい色調だ。その後、ロンドンに行き、ターナーの作品に触れてから、靄がかかったような画面になったらしい。「羊飼いと羊の群れ」(1877‐1880頃)はその頃の作品。4頭の羊が草を食んでいる。その後ろから1頭の羊がこちらを見ている。巨大なシルエットのような羊飼いが浮かぶ。足元には黒い犬。濃い靄の中から淡い光が射す。
チラシ↑に使われている「手紙」(1887頃)は、その作風がとりあえずの頂点に達したような完成度の高さを示す。安定した三角形の構図。セピア色のモノトーンながら、姉妹のピンク色の頬と金髪の輝き、妹の額に当たる光と黒い瞳など、華やぎに満ちている。思慮深そうな姉とお茶目な妹との対比。全体から父親の愛情が伝わる。
後年になってもこのようなモノトーンの中の華やぎは、「ポール・ガリマール夫人の肖像」(1889)のような(おそらく依頼されて描いた)肖像画には見られるが、一方、家族を描いた私的な肖像画にはあまり見られず、むしろモノトーンの画風を極める方向に向かったようだ。
「ふたつの顔」(1900‐1902頃)と「カリエール夫人とジャン=ルネ」(1902)は家族を描いた肖像画。前者は灰色がかったモノトーン、後者は赤茶色がかったモノトーンから、その濃淡だけで肖像が浮き出る。堂々とした存在感のある肖像だ。
「ネリーの肖像」(1904頃)は最晩年の作品。灰色のモノトーンから浮き出る娘ネリーの肖像。どこか悲しそうだ。ネリーが悲しいのではなく、それを描いている画家が悲しいのかもしれない。生涯の終わりを予感した画家の別れの悲しみか‥。
本展開催に協力したヴェロニク・ボネ=ミランは、そのネリーの孫に当たるそうだ。家族という親密な場にいるカリエールに焦点を当てた展覧会だ。
(2016.11.15.損保ジャパン日本興亜美術館)
(※)主な作品の画像(本展のHP)
ウジェーヌ・カリエール(1849‐1906)。セピア色の靄がかかったような独特の画面の画家だ。あの画面はどこから来たのだろう。いつ頃からそういう画面になったのだろう。最初はどんな画風だったのだろう。そんな興味を抱いて行った。
最初期の作品「自画像」(1872)は、輪郭がはっきりしていて、明るい色調だ。その後、ロンドンに行き、ターナーの作品に触れてから、靄がかかったような画面になったらしい。「羊飼いと羊の群れ」(1877‐1880頃)はその頃の作品。4頭の羊が草を食んでいる。その後ろから1頭の羊がこちらを見ている。巨大なシルエットのような羊飼いが浮かぶ。足元には黒い犬。濃い靄の中から淡い光が射す。
チラシ↑に使われている「手紙」(1887頃)は、その作風がとりあえずの頂点に達したような完成度の高さを示す。安定した三角形の構図。セピア色のモノトーンながら、姉妹のピンク色の頬と金髪の輝き、妹の額に当たる光と黒い瞳など、華やぎに満ちている。思慮深そうな姉とお茶目な妹との対比。全体から父親の愛情が伝わる。
後年になってもこのようなモノトーンの中の華やぎは、「ポール・ガリマール夫人の肖像」(1889)のような(おそらく依頼されて描いた)肖像画には見られるが、一方、家族を描いた私的な肖像画にはあまり見られず、むしろモノトーンの画風を極める方向に向かったようだ。
「ふたつの顔」(1900‐1902頃)と「カリエール夫人とジャン=ルネ」(1902)は家族を描いた肖像画。前者は灰色がかったモノトーン、後者は赤茶色がかったモノトーンから、その濃淡だけで肖像が浮き出る。堂々とした存在感のある肖像だ。
「ネリーの肖像」(1904頃)は最晩年の作品。灰色のモノトーンから浮き出る娘ネリーの肖像。どこか悲しそうだ。ネリーが悲しいのではなく、それを描いている画家が悲しいのかもしれない。生涯の終わりを予感した画家の別れの悲しみか‥。
本展開催に協力したヴェロニク・ボネ=ミランは、そのネリーの孫に当たるそうだ。家族という親密な場にいるカリエールに焦点を当てた展覧会だ。
(2016.11.15.損保ジャパン日本興亜美術館)
(※)主な作品の画像(本展のHP)