Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大いなる沈黙へ

2014年08月09日 | 映画
 映画「大いなる沈黙へ」。フランス・アルプス山中のグランド・シャルトルーズ修道院の内部を記録したドキュメンタリーだ。同修道院は中世以来の歴史を持つ男子修道院。戒律が厳しいことで知られているそうだ。

 修道士たちの日常が淡々と描かれる。カメラはひたすらその行動を追う。修道士たちは沈黙の生活を送る。会話が許されるのは日曜日の散歩の時間だけ。そのときだけは、修道士たちは和やかに会話する。あとは沈黙を守る。自分との対話、あるいは神との対話だろうか。その姿をカメラは追う。一切の説明なしに。

 この映画にはナレーションがない。インタビューもない(後述する盲目の修道士の場面を除いて)。ついでにいえば、音楽もない。音楽は、ミサのときに修道士たちが歌うグレゴリオ聖歌だけだ。そのグレゴリオ聖歌は大変美しい。そうか、グレゴリオ聖歌はこうして今の時代まで伝わってきたのかと思う。

 単調といえば単調だ。修道士たちがなにをやっているのか、わからない場面もある。そんなときはイライラする。でも、そのうち、自分が、説明されることに馴れっこになっていることに気付く。今の世の中、すべてが説明される。そういう世の中になっている。この映画はそれとは真逆の方向だ。

 修道士たちの日常を追っていると、(わからない場面もあるとはいえ)一定のリズムがつかめてくる。そんなとき、ふっと「でも、修道士たちの内面はわからない」ということに気が付く。わかるのは外面的な行動だけだ。

 最後に盲目の修道士が語る場面がある。それまでの沈黙を破る場面だ。この映画の例外的な場面。観る者のために窓を一つ開けてくれたのだ。でも、窓は修道士の数だけある。あとの窓は閉じられている。閉じられた状態のままで受け止めること、それができるかどうか――。

 監督はフィリップ・グレーニング。1959年生まれのドイツ人だ。同修道院に撮影許可を求めたのは1984年。そのときは「今はまだ早すぎる。10年か13年後であれば」といわれた。16年後(2000年)に「まだ興味を持ってくれているのなら」と電話が来た(ディレクターズノートより)。

 なぜ「今はまだ早すぎる」といったのか。思うに、内面的な成熟を待っていたのではないか。16年後になってもまだ興味を持っているなら、それは本物だと。そんな内面的な成熟を、観る者もまた求められているようだ。
(2014.8.4.岩波ホール)

↓予告編
https://www.youtube.com/watch?v=vU9FTzbl6Z0
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